「まったくもって、君は愛すべき人だね、居合番長」

 と、絶対に心にもないことを言って男は笑った。
 夕暮れの教室で、他に人はいなかった。赤い日輪が作る深い影で、男――卑怯番長の顔はよく見えない。もっとも、彼はもとから仮面をかぶっているものだから、きちんと顔を見たことはないのだが。
「なにが言いたい?」
 手にしていた箒を元の場所に戻し、彼に相対する。学び舎を清掃するのは門徒の義務である。ではあるのだが、昨今の学生は忙しいらしく、同日に当番を任じられている者は居合番長に後を任せて早々に帰ってしまった。残っているのは自分一人だけだ。愚直を嗤いにでも来たのだろうか。卑怯番長は頭の後ろで手を組んで、にやにやと笑っている。
「なにって、言葉通りの意味だけど? 君は言葉を玩ぶのが嫌いだろうから、僕としてはストレートに言ってみたつもりだよ」
「理由がない。言葉に裏がないとしても、私が貴様を快く思っていないのくらいわかっているだろう?」
 嫌悪されている相手に真正面から好意をぶつけるほど、馬鹿げた行為はあるまい。そして、目の前の男は姑息な手段をとることはあっても、愚かな手法を使う人間ではない。視線をやると、彼は軽やかに身をひるがえして教卓に腰を下ろした。神聖な教えの場を冒涜する行為だが、この男には何を言っても無駄だろう。
 卑怯の笑みは楽しそうに顔に張りついたままでいる。黒い手套が悪魔の手のようだ。
「君の感情生活と、僕のそれとは別なものじゃない? 僕は君のこと、そんなに嫌いじゃないよ。たった一人残ってお掃除に励む姿なんて、愛しいとすら感じちゃうね」
「白々しい……」
「あは! いいね、その顔。大嫌いな僕を睨みつける眉間のしわとか、結構好きかも」
 仮面の下で、卑怯の目が細められる。至極楽しそうな表情に、居合は彼の術中にはまっていたのを知った。ごちゃごちゃと理屈をつけてはいるが、結局他人で遊ぶのが楽しかったのだろう。話を聞こうとした自分が馬鹿だった。
「勝手にするがいい」
 ふい、とそっぽを向いて卑怯から視線を外した。奴はどうせ、この反応さえも楽しむのだろう。どうしようもない相性の悪さを自覚する。さっさと帰宅しようと扉に手をかけると、やわらかい声が背に投げかけられた。
「さよなら、居合番長」
 ふり返ってみれば、声を発した相手はこちらを見ていない。窓を見つめたままで、射しこむ夕陽に赤く染まっている。
「ああ、また明日」
 口もききたくないと思っていたのに、さよならの返答はすぐに口からこぼれ出た。それも、再会を約束するような文言で。同じクラスに通っているのだから、当たり前といえば当たり前の答えであるはずなのに、どこか悔しくてたまらなかった。
 きっと、奴の毒気にあてられたのだ。
 誰もいない廊下を駆け足で進みながら、居合は一人納得する。窓ガラスに映る自分の顔が赤く見えたのは、夕陽のせいに違いない。










2009.10.22up
何言っても相手にされない卑怯番長カワイソス。