「居合番長、危ねぇ!」

 金剛番長の声があがったのと、居合番長が倒れかかったのは、ほぼ同時の出来事だった。
 緊迫した声につられて、帰り支度をしていた教室中の者が金剛を見る。そして彼の視線の先を見て息をのんだ。
 袴姿の柳眉の居合が、ぐらりと体をかしがせて倒れかかっている。
「っぁ、」
 本人もそれはわかっているのだろう。
 体勢を直そうとのばされた手がむなしく宙をかく。指先が乱れて、白い軌跡を描いた。
「居合番長!」
 携帯電話に目を落としていた僕は、金剛に遅れて彼の危機を知った。思わず携帯を捨てて腕をのばすが、彼と僕との距離は、一瞬で縮められるものではなかった。焦る僕の前を、黒い塊がふさぐ。
「大丈夫か?」
「すまない、金剛番長」
 居合の体は金剛の腕にしっかと抱きとめられた。気まずそうにうつむく彼を、金剛は口の端だけで微笑む。
「気にするな。まだ目は治ってねぇんだろ?」
「あ、ああ……。ありがとう」
 金剛につられるように、居合の端正な顔に笑みが浮かぶ。どうやら危機は去ったらしい。
 集まった視線は三々五々と散っていき、帰り際の喧騒が戻ってくる。
 居合番長を危険にさらしたのは、整列を乱すかのように出っぱっていた机だった。おそらく休み時間に移動させたのを、きちんと戻していなかったのだろう。普段ならばそんなものに引っかかる彼ではないのだろうが、両眼に包帯を巻いた今、常と同じ行動を求めては酷というものだ。

 暗契五連槍との戦いが終わった後、雷鳴高校には平和な日常が戻った。それが23区計画下の仮初めの安らぎだとしても、今この瞬間は確かに平和である。番長たちも受けた傷を癒しながら、日常的な学生生活をおくっていた。
「じゃあな、気をつけて帰れよ」
「ええ、金剛番長も」
 居合は見えないはずの目で帰宅の徒につく金剛の背を追う。指をそろえて控えめにふられる手が、夫を送り出す大和撫子のように貞淑だった。
「……べつに、僕が腹をたてる理由はないよね」
 呟いて、のばした腕をぎこちなく戻す。拾いなおした携帯の小さな液晶には、価値ある情報はないように思えた。
 金剛の気配が消えたのか、居合は自分の席へ戻った。盲目とは思えない手さばきで、鞄にノート類を収めてゆく。嬉しげに頬が緩んでいるのは、見間違いではない。
「君にしては珍しいミスだね、居合番長」
「何の用だ、卑怯番長」
「別に用はないけど、クラスメイトは用がなくちゃ話しちゃいけないわけ?」
 包帯の下から鋭く睨まれる。金剛に対する態度とはえらい違いだ。携帯を畳んで彼へ歩み寄ると、ふいっと視線をはずされた。こちらを見向きもせずに、乱暴に筆箱をつっこむ。
「クラスメイトだからといって、気の合わない人間と話さねばならないというルールはない」
「そういうトゲのある言い方って、謙虚な日本精神と反するって思わない?」
「……貴様っ!」
 鞄をつかむ手がワナワナと震えだした。風をはらませた袖を音を立てて翻し、こちらに向き直る。
「確かに! 先程の失態を誤魔化しはしまい。番長としてあるまじき姿をさらした! それは事実だ。
 しかし、わざわざそれを指摘をしなくてもいいだろう。そこまでして私を貶めたいのか?
 ふん、貴様らしいことだな!」
 憤りのせいか、頬が紅潮していた。柄に手をかけ、ぎりぎりと奥歯を噛んでいる。
「そんなに怒らなくても。僕、君と喧嘩したいわけじゃないし」
「空々しいことだな」
「素直に人の言うこと信じられないと、人生面白くないんじゃない?」
「貴様の言うことは信じられん!」
 きりきりと柳眉が引き締められる。これ以上つついたら洒落じゃすまなくなりそうだ。僕は肩をすくめて降参のポーズをとることにした。
「ごめんごめん。こんなに気を害すとは思わなかったんだ。悪かったよ」
 にっこり笑って謝罪の言葉を述べる。ここまで譲歩したら、居合番長の性格からいって、許すと言わざるをえないだろう。それに許さないとすれば、人の目には狭量に映る。それをわかってした謝罪だが、果たして居合は苦虫を潰したような顔で、構わないと応えた。

 やっぱり居合番長は、僕の前では笑んでくれない。
 相性の悪さは自覚している。
 彼が金剛番長に心酔していて、僕のことなんか歯牙にもかけていないことも知っている。
 金剛よりも先に出会ってば、敵として潰しあったはずだ。

 だからこの胸にわだかまる生ぬるい感情は、存在自体がイレギュラー。23区計画に勝利するしようと思うなら、いずれ来る金剛番長との対決は避けられない。金剛につき従う、居合番長とも。
 なのに僕は期待してしまう。優しげな柔らかい微笑みが、僕に向けられないかと浅ましく乞うている。
 僕の紡ぐ言葉が、彼を微笑ませることなんて、あり得ないと知っているのに――
「本当に、悪いと思ってるんだからね?」
「戯言を」
 鞄を持って、足早に彼は去る。残された喧騒の中で、僕はまた携帯に瞳を落とした。真っ暗になった液晶には、マスクをかぶった男の寂しげな顔が映っていた。










2009.10.28up
居合番長に嫌われてるのを自覚して、たまーに落ちこむこともあると思うんだ……!
居合が金剛に寄せる思いは、純粋に憧れとか思慕とかそういうものだと思います。