おりしもその日は強風で、雲を吹き飛ばされた空は驚くほど青く澄んでいた。 さっぱりとした空気が気持ちの良い昼さがり、秋山優は弟妹を連れ、食料と日用品の買い出しの帰り道にいた。なにせ13人という大所帯。買い物の量は尋常ではない。 体力には自信があるが、細々したものがかさばって仕方がなかった。それに、たとえば一人何個までと定められたお値打ち品なんかは、人海戦術が非常に有効だ。 帰り道は整備された広い歩道を選んでいた。車道を走る車の数は多いが、歩道から外れさえしなければむしろ安全な道である。両手に膨らんだ買い物袋を抱えた秋山は、一番後ろで全員に目を配っていた。 弟妹たちはそれぞれ荷物を抱えてよたよたと歩いている。といっても、重いものを持たせているわけではない。視線がふらついているのは、単純にお出かけがうれしいからだろう。 金剛番長と対峙し、犯罪行為をやめてからというものの、秋山のバイト時間は増えた。はろばろの家にいる時間も短くなりがちだったし、皆を連れてどこかに行くのも久しぶりだ。秋山と一緒にいられるというのも、弟妹たちのはしゃぎぶりに拍車をかけているのだろう。先頭に立つ幸太などは、いいところを見せようと重たい米袋を抱えている。ただ、顔を真っ赤にしているから、そろそろ持ってやらないといけないだろう。気持ちは嬉しいけれど、まだまだ子供だなぁと、秋山は微笑む。 そんなふうにとりとめもなく思っていると、風がひときわ強くびょうと吹いた。隣を歩いていた妹の帽子がふわりと浮きあがる。ゴムひもがきれていたのだっけか。のばした小さな手のひらを逃れて、帽子は優雅に車道へ飛んでいく。 「危ないっ!」 小さな両手が帽子を追いかける。それしか見えていないのだろう。子供らしい視野狭窄は、迫る車を脅威と認識できなかったらしい。ワンピースが車道へむかって翻る 両手の袋を投げ捨てて、秋山は駆けだす。 けれど、届かない。 急ブレーキでタイヤと地面がこすれる音が悲鳴のようだった。だが遅すぎる。勢いを殺しきれずに、車両は妹に激突するだろう。 あまりにも唐突な惨劇。空を掻く指先を、秋山は絶望の象徴のように見ていた。 ゴムひもをつけていなかった自分への後悔が襲う。もっと、ちゃんと見てやればよかった! 「桐雨式居合術――――」 凛とした声が響く。 風をも切り裂く清冽な声。 絶望に支配された視界を、一つの人影が駆けぬけた。 どさっと、買い物袋が落ちる音がした。けれど、どれだけ待っても惨劇の音は聞こえない。車は減速し、車道に黒い轍を残すだけだった。 ぞっとするほど長い一瞬の後、妹の元気な鳴き声が響き渡る。 「優兄ちゃああああああああああああああん!」 車の陰から、整った顔立ちの青年が妹を抱いて姿を現した。和装に学ランを羽織り、日本刀を腰につった彼は、秋山もよく知る男だった。 「……居合番長」 ―――――――――――――――― 「勝手に飛び出したりしちゃいけないって、何度も言ったろ? 今日は居合番長が助けてくれたからよかったけど、一歩間違ってたら大変なことになったんだからな」 「うん……ごめんなさい。優兄ちゃん」 帽子をしっかと握って、幼い妹はうなだれる。悪気はなかったのはよくわかるが、叱っておかなければならないのも事実だ。 泣きそうな顔をする妹の頭をよしよしと撫でる。いじめたいわけではない。反省して、同じ事を繰り返さなければいいのだ。 「それと、助けてもらった居合番長にお礼は?」 「いあいばんちょう、助けてくれて、どうもありがとう!」 目を潤ませたまま、妹は居合番長を見あげる。頬が紅潮しているのは大きな声を出したためだろうか。居合は上品にニコリと笑う。 「無事に済んでよかった。お兄さんの言う通り、もう車道に飛び出してはいけないよ。お兄さんを悲しませるのは、君だって嫌だろう?」 視線を合わせるためにしゃがんでから、居合は妹の頭を撫でた。笑みにつられたのか知らないが、妹もにっこり笑う。 「僕のほうからも礼を言うよ、居合番長。君には、ひとつ、借りができてしまったね」 軽佻浮薄な卑怯番長として顔を知られている居合番長に、はろばろの家の優しい「優兄ちゃん」の姿を見られたのは、正直居心地が悪くてたまらない。だが、かといって弟妹たちの前で卑怯番長のスタイルを出すわけにもいかない。朴訥と話すと、居合は不思議そうな顔をした。 「番長として当然のことをしたまでのこと。借りなどと思う必要はない。 ――しかし、貴公は面白い男だな。初対面の人間に借りなどと言い出すとは」 「……は?」 口を隠して、居合はくすっと笑う。秋山がぽかんとした顔をしたのがおもしろかったのか、立ち上がっても彼の顔から笑みは消えていなかった。 秋山はおそるおそる問うてみる。 「居合番長、もしかして、僕のことわかってない?」 「わかるもなにも、私たちは初めて会ったばかりだ。私は番長だから、君が私を知っているのはわからなくないとしても、すまないが私は君を知らない」 それとも君は、どこかの方面で有名なのだろうか。それならば私の浅学のいたりだ。どうか許してほしい。 などと、まっすぐな目で秋山を見つめる。 「……」 秋山には、絶句しかなかった。 ゆっくり考えてようやく、居合が自分を卑怯番長と認識していないのだと気がつく。 (君は、馬鹿か!) たいそうな変装をしていたわけではない。確かに卑怯番長のキャラクターから、孤児院の子供たちを養っているというバックは想像しがたいだろう。だが、秋山と卑怯番長の違いはせいぜい仮面と服装ぐらいでしかないのに。一人まごまごしていたのが阿呆らしい。 「ああ! すみません、居合番長。どうやら僕は、少し勘違いしていたみたいです」 「やはりそうか。いや、君が悪いわけではないのだけれど」 口調を丁寧な「好青年の秋山優」のものにして、その場を繕う。 いっそ、勘違いはそのままにしてやれ。いつかわかった時の顔が見ものだ。 やっぱり彼も多くの人間と同じように、卑怯と叫ぶんだろうか。秋山にとっての称賛の言葉を、彼から引き出して見たいと思ってしまった。 それが、間違いのはじまりだったと気づくのは、ずっと後のことだった。
2009.10.22up
居合番長は意外にうっかりさんだと思うんだ。 でもって、秋山という人間を好きになればいい。 そして卑怯は、いつかバラすつもりで始めたのに、 まっすぐ寄せられる居合の好意を失いたくなくて、 バラしたくなくなる自分にきづけばいい。 |