エイプリルフール2009

「それではこれから、ウソをつきましょうか?」

 ニコニコした顔で話を切り出したのは、男谷マモル。
 行儀作法の勉強からわずかな間でも逃れたくて、今日がエイプリルフールだと話題を振ったのがきっかけだった。
 男谷は万里子に「季節の行事に敏感になるのは、悪いことではないですね」と笑って、冒頭の言葉を述べたのだった。

「僕は万里子さんを愛していません」
「あなたなんていなくなってしまえばいいと思っています」
「あなたじゃない人を愛しているんです」

 痛烈な言葉を吐きながらも、男谷の顔に浮かぶのはほのぼのとした笑顔。
 ウソと宣言したからには、これらの言葉は全部偽りなのだろう。
 言葉をひっくり返して、「愛してる」「ずっといてほしい」「あなたを愛しています」と伝えたつもりなのだろうか。
 稚拙で仕方ないけれど、お勉強よりはましだ。彼女はテーブルに身を乗り出した。

「じゃあ、今度はあたしの番ね」
「そんなこと言われても、あたしは男谷サンが大好きよ」
「あなたと結婚できるなら死んでもいいわ」
「愛してないなんてありえない」
 にぃっと皮肉気な笑顔を浮かべる。
 男谷と暮らす数ヵ月のうちに、皮肉なふるまいが身についてしまったようだ。
「大嫌い」「結婚するくらいなら死んでやる」「愛するなんてありえない」
 そう伝えたつもりだけど、うまく伝わっただろうか。
 対面に座る男谷の面の皮は厚く、一厘たりとも動いていなかった。
 笑顔のまま固まった能面のようだ。
 その表情を、万里子はどこか悪魔めいていると思った。
「万里子さん、ウソというのは事実とアベコベってわけじゃないんですよ?」
 男谷の口から失笑が漏れた。
「でも、事実じゃないってことイコールウソでしょう?」
「その定義に、間違いはありませんが……」
 微苦笑が顔中に広がって、男谷はそれをごまかすようにコーヒーカップに口をつけた。
 あいまいな否定がうっとうしくて、「なら男谷サンのウソってなんなの」ときつい口調で言ってみた。

じゃあとびっきりのウソをつきましょう。僕は、これまでウソを言っていません」

 そう言って、またとびっきりの笑顔を浮かべる。
 わざとらしい言葉に、万里子は声を上げて笑った。
「そりゃとびっきりね! 男谷サンがウソをつかない正直者なんて、考えらんない!」
 おなかがよじれそうなのをこらえるためにテーブルを叩くと、冷たい視線で睨まれた。
 レッスン中ということを思い出させてしまったらしい。どうやらお勉強の再開のようだ。
 テキストを開いて、音読するように指示される。
 護衛相手の国の国勢状況のお勉強らしいが、果たしてそれにどんな意味があるのだろう?
 そんなことしなくても、ボディガードは勤まるのに。



 気のない声で読みだす万里子を、男谷は暗い目で見つめる。
 朗読の調子も、ページをめくるしぐさも、【彼女】の体で行われいるのに、【彼女】からは程遠い。
 こんなにすぐそばにあるのに、絶対に手に入らない【彼女】を思うと、暴言も飛び出そうものだ。

 万里子は男谷の発言をすべて、ウソだと思っているようだが、男谷は一つしかウソを言わなかった。
 それに気づかない彼女の愚かさを半ばいとおしみながら、半ばあざけりながら、男谷はひっそりとため息をついた。

2009.04.02up@blog
2011.06.02up

ウソは下線部。
男谷というか、陽介というか、いんこの中の人は「モモ子=万里子」という事実を受け入れながらも
「モモ子の人格=万里子の人格」ではないことに苦しむといい。

自分は確かにモモ子を愛したけれども、その愛はモモ子のどこに向かったのだろうか?
モモ子の人格だとするのなら、まったく異なる人格である万里子を愛することはできない。
しかし、モモ子の存在を愛するのなら、変質してしまいはしたが、れっきとしたモモ子である万里子を愛すべきだ。
しかし人の「存在」はなんによって定義されるのか。
精神のアイデンティティ? 肉体のアイデンティティ?


そもそも己は「誰」として「彼女」を愛すのか?


ぐるぐる悩む中の人が、八つ当たり気味に万里子を嫌いだと言うと、私は萌えます←
いんこの刑事さんいじめも、そんな部分があるんじゃないかと思って胸がきゅんきゅんする今日この頃です。