――つっこんだら、負けだ。
ごくりと息を飲みこんで、千里万里子は拳を握りしめた。
テーブルをはさんで真向かいにいるのは役者で泥棒の七色いんこ。今日も今日とて代役を務めた彼は喫茶店でゆっくりコーヒータイムだ。劇場から喫茶店への道の間で、どこに獲物を隠したのか。それがつきとめられない万里子は今日も、喫茶店でいんこの目の前に席をとる。
万里子をマいて、先にくつろいでいたいんこの席には、見慣れないものがひとつ。
真っ赤な菓子箱。
ボール紙でできた簡単な紙箱が、赤色のパッケージを誇るかのように堂々と直立している。
今日は11月11日。
世間一般では、この日をポッキーの日と呼ぶらしい。
ポッキーの両端をくわえてかじりあうようなゲームなんかもするとかしないとか。
そんなポッキーを、なぜいんこはテーブルに置いているのか。
つっこんだら、負けだ。
どうせいんこはからかっているに違いない。あたふたする姿を見て笑ってやろうという魂胆なんだろうが、こっちだっていつもいつもいんこの思い通りになんかさせてやるものか。
「今日はやけに静かだね刑事さん」
いんこがテーブルに肘をつく。左手の上に顎をのっけて目を細めた。
「そうかしら? いつもと変わらないと思うけど」
「いいや、そうでもないさ。さっきからチラチラこっちばかり見てて、うわの空じゃない」
こっち、と言いながらいんこは右手でポッキーをつつく。紙箱はゆれたけれど、倒れずにふんばっていた。
「そんなこと……」
「ふふ、刑事さんってば、おれがポッキーゲームしかけるとでも思ったの?」
「そ、そんなわけないじゃない!!」
身を乗り出して抗議するが、いんこの応えは普段通りのキザな笑みだった。
「そうそう。勘違いしちゃいけないよ刑事さん。おれはキスしたくなったって、こんなまわりくどい真似しませんから」
「え?」
いんこも身を乗り出したかと思うと、目の前がふっと暗くなった。そして唇に、柔らかな感触。
「だって、キスなんていつだってできるんだし?」
まばたきを何度かして、ようやく何をされたのか理解する。
「こっ……この泥棒役者あああああ!!」
「わーぉ、刑事さんってばこわいこわい」
耳をふさいで、いんこはすたこらさっさと逃げ出す。テーブルの上の勘定はいつの間に出したのやら。
「待ちなさいいんこ!」
「アハハ! 待てと言われて待つ人間がいるもんか!」
今日も今日とて、刑事と泥棒役者の逃走劇は終わらないようだった。
了