![]() ![]() 「いんこのバカ! ロリコン! 変態! ペド野郎!! あんたみたいな不審者は、豆腐の角に頭ぶつけて、ぬかみそに埋もれて死んじまえばいいのよ! バカヤローッ!!!!」 ノックもなしに飛び込んできたのは、とんでもない悪態の極みだった。 いったいぜんたい、なにがどうなればそんなお門違いの糾弾ができるというのか。 糾弾者はドアをけっとばして開け放ったものの、一歩たりとも楽屋に入ろうとはしていない。両手を握りしめ、肩を震わせたまま、仁王立ちでいんこを睨みつけている。 いつもの青帽子に、胸元をダイナミックに開いた人民服。きゅっと張った胸は"ロリ"なんて言葉からは程遠い。もっとも、"女の色香"って言葉とも縁遠そうだ。ざっくり一本にまとめた髪に化粧っけのない顔。叫び終わってゼーハーいってる口元は、まだ不満そうにへの字を描いている。 女、というよりは小娘といった形容のほうがよく似合う彼女は、警視庁の捜査二課に所属する立派な刑事さんだ。代役役者七色いんこを泥棒と決めつけ――もっとも、それは正しい推理なのだが――毎度毎度いんこを追いかけまわしている。 舞台が終わった後に楽屋に殴りこみをかけられるのも、珍しいことではなかった。まだメイクも落としていないうちにズカズカ入りこんできて、襟首を締めあげられたのも一度や二度のことではない。手が出ていないだけ今日は大人しいとも言えるが、それにしたってこんなへんてこりんな罵倒はごめんこうむる。 それとも、見当違いのいちゃもんをつけて、楽屋に足止めしようという作戦だろうか。先に観客を帰してしまえば、劇場で起こる盗難は未然に防がれる。海外からの賓客や経済界の重鎮など、警察として絶対に犯罪被害にあわせるわけにはいかない要人がいる場合、こういった手をとることは考えられる。小田原あたりの入れ知恵だろうか。 だが、そんな手を使う理由がわからない。 今回の舞台は新築の文化会館。演目は女児向けのヒーローショーで、すじがきは不思議な力で変身する少女たちが悪の怪人を倒すというもの。悪役のスーツアクターが事故を起こしたというので、急遽代役の依頼を承ったというわけだ。客は子ども連れの母親ばかりで、警察がピリピリするようなVIPは、舞台の上から見た限りではいなかったはずだ。 いんこ自身、本業の稼ぎにはあまり期待していなかった。新築のハコにはどんな逃亡ルートを書けるのか下見に来たようなものだ。日ごろの入念な下調べが、大仕事の時役に立つのだ。 とはいえ、このまま女刑事の相手をしていたら、確かに客ははけてしまうだろう。 幸い、舞台のメイクは落とし終え、いつもの七色いんこの扮装を身につけ終わっている。むりやり逃げてしまってもいいが、そうなるれば刑事の機嫌はなおさらおさまらないままだろう。理由もわからず怒らせておくのは得策ではない。 呆れたふうに肩をすくめてみせる。 「随分なご挨拶だねぇ、刑事さん。おれがあんまりにも清廉潔白なものだから、窃盗容疑の代わりに淫行罪でしょっぴくつもりかい? そっちのほうが難しいと思いますがね」 「ごちゃごちゃうるさい! お前なんて児ポ法にふんじばられてブタ箱に詰められて焼き鳥になっちゃえばいいのよ! バカバカバカ! ロリコン!」 「言ってることが支離滅裂ですぜ……」 肩をいからせる女刑事――千里万里子は出口の前から動いてくれる気配はなさそうだった。 楽屋の下見もあらかた済ませたし、頭のなかでは逃亡ルートの青写真もできあがっている。たまにはゆっくり刑事さんにつきあってみるのもいいだろう。 楽屋の椅子をすすめて、入ったら? とジェスチャーするが、刑事さんはかたくなに入ってこようとしない。やれやれと呟いて、いんこは椅子に腰かけた。 「まあ落ち着きなよ。いったい俺のどこが変態だっていうんだい? まっとうにお仕事しているまっとうな小市民をこんなにまで言葉攻めするんだ。れっきとした根拠を示してほしいね」 「髪の毛緑だし。変なマスクだし。おかっぱだし。服キザだし。襟元ぴらぴらしてるし。マスクの下の目つきが猥褻だし。指先の動きがいやらしいし。頭のてっぺんから、爪の先まで全部ヘンタイ」 「……まさかの全否定、どうもありがとう」 がくっと肩が落ちた。自分の扮装が普通でないことはわかっているだが、面と向かってきっぱり言い切られると、やはり心にくるものがある。 人のスタイルをけなしつくした刑事さんはと言うと、ツンとそっぽを向いたままだ。なにをすねているんだろうか。 緑髪もマスクも普段とまったく変わらない。いつもだったらなにも言われない服装に難癖つけるのは、何か気にいらないことがあるからなんだろう。 ここはひとつ、器の大きいところを見せてやろうではないか。万里子が本気でそう思っているとは思わないのだから。きっとそのはずだ。そうに違いない。絶対。 いんこは体勢を元に戻して腕を組んだ。 そもそも、刑事さんがいんこを罵倒することは少なくない。泥棒野郎、コソ泥役者、キザスリ師。さすが元ヤンと賞讃したくなるくらいに、彼女の悪口は容赦がない。 しかし彼女は、悪口のために嘘をつくことはなかった。例えば、役者を罵るには最適な言葉「大根役者」なんて言葉は、彼女の口から聞いたことはない。刑事という職業柄なのか、それとも元々の性格なのか、妙なところでフェアなのだった。 万里子の罵倒は、万里子が本心から思っていることしか形にならない。ということは、万里子はいんこのことを「変態」で「ロリコン」で「ペド野郎」と思っているらしい。 「おいおい、勘弁してくれよ……」 不機嫌の理由が見えてしまって、彼はたまらずため息をついた。 顔はそっぽ向いたままだけど、なんか文句あるの? と言わんばかりの冷たい視線がちらりと向けられる。このへそを曲げてるお嬢さんは、どうやら悋気持ちの傾向があるらしい。 そんなところもかわいいなんて思う俺はきっとそうとう末期なのだろうと思う。草津の湯でも治せない病をそっと隠しながら、いんこは立ちあがって彼女との距離を詰めた。 「あのね刑事さん。俺は確かに幼女向けの舞台に出ましたけど、性的嗜好が幼女に向いてるってわけじゃないからね?」 「なっ……!」 ぎくっと肩をこわばらせて、女刑事は一歩後ずさる。 開いた距離をさらに詰めれば、また一歩後退した。舞台裏の廊下はせまい。もう一度繰り返すと、万里子の背はあっという間に壁についてしまった。逃がすつもりなんてない。手を壁について、息がかかるくらいの距離に接近する。戸惑う刑事さんの顔はほのかに赤い。 わなわなと震える口。本心を言いあてられ見開いた瞳。羞恥を隠そうとめぐるましく表情を変える顔をたっぷりと堪能してから、いんこは口を開いた。 「子どもなんかにヤキモチやくもんじゃないぜ?」 「だ! 誰がヤキモチなんか!」 耳まで真っ赤にして、万里子は反論する。が、それが嘘だってことくらいはお見通しだ。悪口に嘘は言わないが、まったく嘘をつかない品行方正なお嬢様でもない。素直じゃない唇は問答無用でふさいでしまおうかとも思うけれど、追い詰め過ぎれば後が怖い。逃げ道の一本くらい残しておかなければなるまい。 いんこは壁から手を離して肩をすくめた。チェシャ猫みたいな笑い顔を貼りつけて、刑事に話しかける。 「ヤキモチじゃないとするんなら、妙な誤解はよしてほしいもんですね。子供向けだろうと、シェイクスピアだろうと、舞台に貴賎はない。俺が出るにふさわしいと思ったから代役を引き受けるんだ。幼女がいっぱい観に来るから引き受けるなんて、馬鹿な想像はおよしなさんな」 「ぐっ……。べ、べつに、そういうわけじゃ……」 「じゃ、どういうつもりでロリコンなんて言うんです?」 「うっ……その、ええと……。その、あの。えっと、もののはずみよ! はずみ!」 「はずみで冤罪くらうんじゃ、洒落になりませんぜ……」 むすっと頬をふくらませて、万里子は横をむく。 「そんなことわかってるわよ」 そして小声でぼそりと呟いた。 「ちょっと、不安になっただけ、なんて。言ってやらないんだから」 聞こえてますぜ、刑事さん。 と、言ってやりたいのを押さえて、いんこは楽屋に戻った。背中を見せてる間だけ、彼女の台詞を反芻する。恋の病は末期も末期らしい。つとめて平静な調子で刑事に告げる。 「じゃ、疑いも晴れたところで俺は帰りますぜ。明日の舞台に備えなきゃならんのでね」 時計を見ると、閉幕からもう一時間もたっていた。お客はもうないだろう。ただ働きになってしまったが、金銭じゃない収穫はたっぷりとれた。今日はこれで満足するとしよう。 じろっと睨まれながら、いんこはさっさと帰り支度をまとめてしまう。最後に楽屋の隅に置いておいた大荷物を手にとって、ドアに手をかける。が、女刑事さんは見逃してくれなかった。 「ちょっと待ちなさい! あんた、そのでっかい荷物はなんなのよ! 舞台に出るのにこんなの必要ないでしょ!? 幕の間にもう盗んでたのね!!」 「待って刑事さん、これはっ!」 必死の制止も間に合わず、万里子は大荷物に手をかけた。覆っていた布がはらりとはがれ落ちる。間髪いれず、若い女の絶叫が轟いた。 「トリーーーーーッ!!!!!!」 鳥籠に、一匹のインコ。大荷物の正体はいんこが連れてきたペットの小鳥だった。 叫んだ刑事さんはみるみるうちに体を縮ませて、全身をかきむしっている。 「だから言ったのに……」 「遅いわよっ!」 涙目で叫んで、万里子はばたばた手足をふりまわす。体をかきながらころころ転がる姿は、だだをこねる子どもにも似ている。いんこは落ちた布を鳥籠にかぶせなおして、やれやれとため息をついた。 「もうイヤッ! なんでそんなもん持ってるのよ!」 「俺のペットを楽屋につれてこようがこまいが俺の自由でしょ。ちゃんと布をかぶせてあったんだから、勝手にひっぺがす刑事さんのほうが悪い」 「そんなこと言ったってぇ」 唇をとんがらせる万里子は、まるっきり子どもと変わらない。先ほどの客席に置いておいても違和感はないだろう。いんこの出ている舞台を夢中になってみてくれるかどうかはわからないところだが。 「まあまあ刑事さん。そんなにつむじを曲げなさんな。ちっちゃくなったあんたも可愛いもんだぜ」 「…………」 フォローのつもりでお世辞を言ってみる。本心からのものだが、きっと彼女はお世辞としかとってくれないだろう。それならこちらも軽口を叩くまでだ。 しかし、彼女はぴたりと動きを止めた。それから、この世の終わりを見た人のような真っ青な顔でいんこを見つめる。 「あんた……やっぱり……」 ロリコンなのね。と、かすれた声でのたまう。失言に気がついたが、もはや手遅れだった。 「いやああああああ!!!! 変態ロリコンペドフィル変質者あああああああ!!!!」 切実な叫び声をあげながら、万里子は走り去っていった。罵倒、というよりは助けを求めるような悲鳴にしか聞こえない。 「ちょっ、違うから! それは違うって刑事さん!」 慌てて追いかけるが、その焦った顔がなによりの裏づけになってしまった。 小田原の元に逃げこんだ万里子に追いついた時、青年刑事はゴミでも見るような目で冷たく、 「いんこ、事情聴取受けてもらうからな」 と告げたのだった。 Fin
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