シュガーコートの魔法 




 液晶からこぼれだした光は、明かりをともさない部屋が闇に落ちるのをかろうじて救っていた。
 人工の光は昼の陽のように姿かたちをくっきりと照らし出しはしないが、華やかな手つきで物の輪郭を描き出す。
 マシュマロをニ三個くっつけたようなカウチの右端にくつろいだ男。その反対の端に体育座りの女。二人の間にはこじんまりとしたサイドテーブルが、スナック菓子とグラス二つをのせて直立していた。
 動かない男女とは対照的に、テレビモニタは幾多の色を宿しては、惜しげもなく手放していく。グリーンやパープル、ショッキングピンクにターコイズブルー。自然界では稀な光が、刹那二人の部屋を染めては、消えていく。
 たえまない光の生滅に圧倒されたのか、グラスがふつふつと汗をかいていた。小さく生まれた水の粒は、テレビモニタを無邪気に複製して閉じこめる。数多のミニチュアモニタのなかで、人工光がくるくる踊っていた。

 右から、男にしては細い腕がテーブルへゆるゆるとのびる。カウチの肘かけに預けた重心はそのままに、そのうえ画面から目も離さずに。不精な左手は触覚だけを頼りに くう をさまようが、目当てのものは見つからなかったらしい。探すのも面倒だと言わんばかりに、ぺしゃん と腕が落ちる。そのまま、カタツムリが角をひっこめるように、ゆっくりと元の位置に戻っていった。ものぐさにも限度があるのではないだろうか。
 さらけ出された白い腕が光に照らされてカメレオンみたいに色を変える。画面が海を映せば仄青く、炎を映せば薄赤く。どんな色も受け入れる腕を辿ると、半袖のポロシャツに隠れて入るけれど、意外とに広い肩が目に入る。三つついたボタンのうち、二つを外したままの襟元。カウチの肘かけに置いた右腕に頭を預けてしまっているものだから、喉仏がくっきり浮き出ていた。体に触れられることを拒む男ではないけれど、そこに触れられるのはひどく嫌がっているのを知っている。
 男の全身からは、腕同様に力が抜けていた。昼餉の後のライオンのような――といえば聞こえはいいが、同じライオンでも、奴は檻に入ったライオンだろう。野生の本能なんて忘れきって、安楽な住みかでぬくぬく惰眠をむさぼる大型の猫型動物。
 もっとも、男が自分を四本足の獣に喩えたことは一度もない。奴が自分を表す生き物は、空を舞い、歌を歌い、人の言葉を真似るいきもの――いんこと名乗る男は、普段のキザなふるまいを棚上げしているらしい。こんなぐうたらを紳士と呼んだら、イギリスから一ダースほど抗議団体が送られてきそうだ。
 端正と評されることの多い顔は、テレビ画面にむけられたままだった。くるくる変わる光の色に、まばたきすることもなく静止している。まるで目を開いたまま、眠っているようで。無遠慮なあたし視線に気づこうともしない。
 もっともこいつは、熱い視線を受けてなんぼの職についているわけだから、今さら一人や二人の視線なんて関係ないのかもしれないが。
 ……べつに、気づいてほしいわけじゃないけど。
 あたしは背中をさらに丸めて両足を深く抱えこむ。男から視線を外すと、
「万里子」
 なんて唐突に呼びかけられた。
「なによ」
 視線を戻すと、奴はこっちも見ないままで、憎ったらしい半笑いを浮かべていた。
「眉間にすごいシワよってる」
「んっ!」
 はっとして額を押さえる。見ていないようで目ざとい奴! じとっとした目で睨んでやると、奴は軽く目を伏せてあたしの声なきブーイングを黙殺した。こういうところは変わっていない。眉間をほぐしながら、あたしは膝の間に顔をうずめた。

 七色いんこという泥棒役者が、己の命をかけた復讐の舞台を終わらせて長い。目的を果たした男は、仮面を外して自分の夢に向かう道を、自分の足で歩いている。いんこが言っていたように、才能に恵まれていたのだろう。なんとかその道で食べられるようになって数年が経っていた。たまに鋭い批評家に、演技がどこか借り物めいて――ツギハギの服を着ているようだ――と指摘されて、へこんでいたりもするけれど。
 自分の演技をつかむんだと凛とした顔で舞台に臨む彼はしかし、ここではそんな表情を見せてくれないらしい。放り出した両足に、子どもがクレヨンで描いた線のように曲がったカーブの上半身。背骨が抜けたナマケモノが、こんな格好をしていそうだ。
 鳥より軟体動物に近い格好の男は、気の入っていない声を出す。
「万里子」
「なにさ」
「コーラとって」
「自分でとりなさいよ」
「ちぇ」
 遊び相手にふられたやんちゃ坊主みないな舌打ちをして、いんこはぷいっとそっぽをむいた。そのまま肘かけにつっぷして、ブーブー意味のない言葉を呻いている。映画、見なくていいんだろうか。
 二人の部屋で上映している映画は、新しくも洒落てもいないラブコメディだった。古いマスクをかぶることで不思議な力を手に入れた内気な青年が、憧れの歌姫にアタックするというもの。特番でよく放映されているが、最初から最後まで通してみたことはないと言ったら、レジに持っていかれてしまっていた。
 画面を狭しと活躍するマスクの青年のドタバタ劇は、なんにも考えずにゲラゲラ笑うのが本来の楽しみ方なんだろう。現に、隣の憎ったらしい馬鹿男は時々小さく吹きだしては我慢するように肩を震わせている。
 ……こういうの、ウケるんだ。
 と、軽く意外に思った自分にすこし驚いた。こいつのことは、なんでも知っているように思っていたのに。

 仮面を外したこいつと、記憶をとりもどしたあたしは、どういうわけだか離れられなかった。一緒にいても幸せにはなれないと、周りの人間だけではなく、奴自身からさえ、何度も言われた。物語の終わりがハッピーエンドだけではないように、終幕が訪れたからといって、誰もが幸せになれるわけじゃない。
 それでも、一緒にいたかった。だから、隣にいるという選択をした。
 いんこの素顔も穴があくほど見てやったし、互いにいろんなものをさらけ出した。
 過去。素性。経歴。思い出。秘めに秘めた願い。どろどろの執着。かすかな憎悪。悪態。やるせない空虚。喪失からの絶望。捨てきれなかった恋慕。
 本当は伝えたくてたまらなかったくせに、心の隅っこにしまいこんで押しつぶしていたそれを、二人でアイロンでもかけるみたいにゆっくりとおし開いていった。どんな模様が出るのかな、なんて、時に微笑みながら、時に泣きながら尋ねあったりして。
 だから知らないことなんてもう、ないと思っていたのに。意外に思った自分が何だか気にくわない。ついでに言えば、のんきに吹きだすこいつも気にくわない。なにを他人事みたいに笑っているのか。
 マスクをかぶって――本当の自分を隠して恋しい人に近づく青年。
 青年の素顔を知らないまま、彼に魅かれていく女。
 マスクがオカルトだったり、青年が恋するひとが歌姫だったり、そもそも舞台の国が違ったり。違いをあげればキリはないが、似ているところだってたくさんある。
 恥ずかしい、とか、思わないんだろうか。
 映画が始まって、話が進んでいくにつれ、あたしはどんどんテレビ画面を直視できなくなっていった。同じ境遇の奴を横目でうかがうのだけど、単純そうに笑う彼は何にも考えずに映画を楽しんでいるように見える。
「……なんで、そんなふうなのよ」
 映画は映画。フィルムの彼らとあたしたちは違うんだから、そう割り切って楽しめばいい。
 問えばきっと、奴はちょっと嫌味な学者っぽく笑って、そう返すだろう。
 時に陰険学者のように。
 時にキザったらしい天才役者のように。
 時に純朴な演劇少年のように。
 素顔のままで奴はくるくる顔を変える。
 光が色を変えるように――けれど、色を変えても光は光。見え方が違っても、本質は変わらないと理解する程度には、あたしは奴のことを知りすぎてしまった。そして、その多彩な色に魅せられてしまったのだ。
 頭をかきむしって、髪をぐっしゃぐしゃにしたい気分だった。
「万里子、映画見ないの? つまらなかった?」
 うつむいたままのあたしを不思議に思ったんだろうか。顔をあげると、奴の両目がぴかぴか光ってあたしを見つめていた。
「そういうわけじゃないけど……」
 瞳をうまく受け止められなくて言葉を濁したら、奴はピンときたとばかりに目を見開いた。
「あぁ。そういうことね?」
 開いた目がまたたくまに意地悪く細められる。笑ってるわけじゃないのに上機嫌が伝わってくるのは、あたしがテレパシーの才能に目覚めたからなんかじゃない。揶揄を顔だけで伝えるのは、いんこの得意とするところだ。
「なっ、なんだってのよ」
「いやー、万里子ってばカワイイなーと思って」
「カワイイって、なにが」
 背もたれにかけていた上半身を起こして――けれどもそのまましゃきっとすることはせず、カウチへうつぶせに横たわる。あたしのお尻のすぐ側で、奴の頭があたしを見あげていた。
「あれでしょ? 嫉妬。俺みたいにマスクつけてる男が、あんなにド直球でアピールするもんだから、嫉妬しちゃったんでしょ? 『あたしはこんなにラブラブじゃなかった―』って」
「なに言ってんだこのバカ鳥類は!」
「人類とすら認められてない!?」
 渾身の平手打ちを飄々とかわし、いんこはおどけたふうに手をひらひら泳がせる。
「ははっ! 図星つかれたもんだから怒ってやんの」
「ちっ、違うわよ! うぬぼれんのもいい加減にしなさいよね!」
 もう映画なんて見ちゃいられなかった。不満そうにとがらせた口を、どうやってふさいでやろうか。
「そうじゃないとしたら、なんだっての?」
 心底不思議そうに首をかしげて、奴はあたしの隣りに座りなおした。張り倒してやろうかしらん、なんて思っていたら、あたしの肩にこてんと頭をのせる。
「ねえ、教えてよ」
 甘い、砂糖を入れたホットミルクみたいに落ち着いた声。
 優しげに澄んだ瞳が、実は甘えてるんだってこともあたしは知っている。とんでもない自信家のくせに、本心をさらすのには慣れていない奴だから、恋人への甘え方はへったくそなのだ。ここで「教えてあげない」だなんて言ったら、気にしていないふりしながら、一週間は動揺し続けるに違いない。
 だけどどうして動揺するかといえば、あたしが映画に不満そうな理由がわからないからだろう。ちょっとムッと怒ってみせるだけで、面白いくらいオタオタする。舞台でアクシデントが起きたって、ここまでうろたえることはめったにないだろう。
 つまりこいつはあたしのことばっかり考えているというわけだ。人に説明したら、どんなバカップルだと呆れられてしまいそう。
「……恥ずかしーやつ」
「だから、なにが?」
 自分で考えろと突き放してやりたかったけれど、まっすぐ見つめる目には勝てなかった。
 あたしも大概恥ずかしい女かもしれない。素直に認めるのは悔しいから、いんこの髪をぐっしゃぐしゃにかきまわす。
「ちょ、ちょっと万里子、なにするの」
「うっさいうっさいアホいんこ。嫉妬だのなんだの、馬鹿なこと言ってんじゃないわよ。こんな話見てて、恥ずかしいと思わないわけ? アホみたいにカブってるハッピーエンドのラブコメなんて、正気で見られるもんじゃないわよ!」
「恥ずかしい……?」
 景気づけに軽くはたいてやった額を撫でながら、いんこは素で困惑していた。なにが? と続ける奴に、くらっとめまいがおきそうになる。
「なにもかも! すべてが! あんたはこんなイチャイチャしてる話見てて、恥ずかしくないっての?」
「うん。全然」
 からかうために強がってるそぶりは見えなかった。これは演技じゃないと直感が告げる。返事ができないでいると、いんこはさらにうそぶいた。
「俺からしたら、この主人公なんてまだまだだし」
「どういうことよ……」
「ん? わかんない?」
 続く言葉を聞かないほうが、あたしの心は平和に保たれるはずなのに、奴の口をふさぐタイミングを逸してしまった。
「だって俺、こんな主人公よりずっとずっと、万里子を愛してる自信あるから」
 一瞬、なにを言ってるのかよくわからなかった。
 そしてわかってからは、頭が瞬間沸騰器になったようだった。
 顔が熱い。熱くて熱くてたまらない。
「キザ! なんでそんなセリフぽんぽん言えるわけよ!」
「言ってほしいって、万里子の顔に書いてあったから。ああ、今は真っ赤だけど」
「嘘つけ!」
「嘘じゃありませーん」
 楽しげに肩を震わせる彼はあたし同様、映画なんてどうでもよくなったらしい。どっかで見たようなハッピーエンドになだれこもうとしているが、こっちはそれどころじゃないのだ。拳をふりあげて、奴の胸元に飛びこんでしまう。
「もう! ばかばかばか! すかぽんたん!」
「あー、もう。当たってるからって、ぽかぽか殴るのやめてってば。いっ、今の、みぞおちに入っ……!」
「ばかばか、知らない! もう知らないんだからっ!」
 いんこは腹を押さえてうめき声をあげる。わりと本気でみぞおちに正拳を叩きこんだのだ。痛くなければ困ってしまう。
 苦しいくせに、まだにやにや笑いを消さない奴に、あたしはもう一度真剣に急所をえぐるべきか考えてみる。ちらっと顔を見ると、目があった。
「けどさぁ、俺、本気だよ? 本気で万里子のこと、愛してんだから。そんなに照れなくたっていーじゃんか」
「――っ」
 ストレートすぎる、あまりにストレートすぎる物言いに、もう抗う気にもなれない。
 映画はスタッフロールを流している。暗くなった室内で、ぼすっと音をたてて奴の胸に顔をうずめた。ダウンしたボクシング選手みたいに、奴の上でくったり横たわってしまう。あたしの、負けだ。
 するといんこは満足げにあたしを抱きしめて、
「じゃ、本気の証明でもしてみせましょうか」
 などとのたまう。
 ――もう、どうにでもしてっての。
 言葉で言う代わりに、あたしは奴に口づけた。

 テレビがぷちんと音をたてて消えて、部屋は暗闇の手に落ちる。
 映画の終わりは、恋人たちの時間の始まりだった。





Fin
2012.10.20up
タイトル配布元:afaik


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