牢獄の女は静かにしていると聞いた。
反抗する様子もなく、何かを企んでいる様子もない。
ただ従順に囚われの日々を過ごしているそうだ。
――神に匹敵する力を身に宿すにしては、すいぶん凪いだ性格だ。
積もった仕事を片付けるため、ずいぶんと遅くなった帰り道を辿りながら、ふとセトはキサラを思い出した。
昼に女の状態を部下に報告させたためもあるだろう。まっすぐに屋敷へ向かっていた足を止め、王宮の奥に歩を進める。
通路に並べられた篝火は勢いを失い、おきに変わりかけていた。
欠けた月が冷たい顔で中空に浮かんでいる。
「女、何をしている」
檻のむこう、キサラは眠らずに、寝台に腰をかけていた。
声をかけると、ハッとした様子で顔を上げる。手のうちには、素朴な土の杯がおさめられていた。
「セト様……」
弱気な子どもが悪戯を見つかったかのように、杯を隠そうとする。
それをキッとねめつけて、再度問うた。
「何をしている? と聞いている」
少しの沈黙の後、血の気の引いた顔でキサラは口を開いた。
「月を、」
かぼそい声が二人の間の夜を縫う。
「月を、見ておりました」
キサラ杯を差し出して、叱咤を恐れるように目をつむった。
女の手のうちにおさまる小さな杯には水が満たされ、その中に小さな月が浮かんでいる。
しかし、セトには納得がいかなかった。牢の採光は十分なはずだ。現に、月光に照らされたキサラの髪は、白銀に艶々と輝いている。
「あの格子窓からでも見れるだろう。何故そのように回りくどい真似をする」
問えば、キサラはそっと目を開いた。青い瞳がセトの瞳を弱々しく見つめる。
「あの窓からでは、格子が邪魔をするのです」
「……あぁ」
格子窓から覗く月は、縦に黒の線が入る。確かに、ありのままの月の姿は見えないだろう。
虜囚の身となったこの女は、小さな月を捕まえて、己の慰めとしていたのだろうか。
街に出れば、キサラと同じ年頃の女たちは、化粧だ宝石だと黄色い声をあげているだろう。
あまりにも小さな楽しみに、セトは沈黙する。
「……お気に障りましたか?」
「いや」
おどおどと尋ねるキサラにかむりをふって、セトは視線をそらした。
「今度、杯をもっといいものに変えてやる。土では重いし、肌触りも良くないだろう」
キサラが控えめに目を見張る。青い瞳にかすかにともった嬉しげな光に、セトは少し胸のつかえが下りたような気がした。
了