030:堕ちていくのは僕ではなく -捏造風景A- /いんこ・陽介 薄暗がりの底だまりで僕の首をしめるのはマスクをつけた僕だった。 僕は自分がされているみたいに顔を歪め、対する僕はむしろ安らかに 僕を見つめている。 僕の終わり方は心得ているよ、と伝えようとして、首にまきついた僕の指にそろそろと手をのばす。僕が押し倒された床は、夜闇を映したガラスみたいな漆黒の鏡面だった。二人の僕が映ったそれは僕の視界にも入っているはずなのに、僕は僕の気管をふさぐことにせいいっぱいで、末期の痙攣めいた動きに気づく余裕もない。 だからかどうか、僕の手は革手袋に届く前に落ちてしまった。僕は冷静に僕を見ているようだけど、実のところ、もう思考も億劫だ。できれば早くやってくれ。 昨日の晩に僕を殺したときから、こうなることはわかってた。 マスクをつけていた僕は、マスクを外した昨日の僕を殺した。 だから今日が終わってマスクを外した僕がマスクをつけた明日の僕に首を絞められることはなんの不思議でもない。 辺りを見渡せば、ほら、鏡面を埋め尽くすおびただしい死体が山づみになっている。それらはすべて僕だ。生きているのは、僕の首をしめている僕と、死にかけている僕の二人だけ。同一の遺体が幾数もひしめきあうカタコンベで、僕らは殺し殺されあってきた。 いつからだったか忘れてしまったが、僕は僕を殺めつづけている。 復讐が完了していないこの世界では、僕は僕でいられない。だから僕はマスクをつけ始めたわけだけど、マスクをつけた僕は代役役者であって、僕ではない。だからマスクをつけた僕は、マスクをつけていない僕を殺さなければならない。 マスクのない僕を殺して、マスクをつけた僕の一日は始まる。 一日を終えた僕はマスクをつけた次の僕に殺される。 もう、何年もくりかえしてきたことだから、死体も数えきれないくらい重なった。 死んだ僕も、今まさに殺されようとする僕も、一生懸命扼殺に励む僕も、誰もが僕だから、僕は僕の気持がわかる。僕なんか死んでしまえと憎みながら、僕は僕を殺すのが悲しくてたまらない。僕は僕が死にたくないと願っていることも知っている。死にたくないと願ったおびただしい僕を僕はずっと殺してきた。そうすることでしか生きられなかった。 最期の空気がこぼれ落ちて、僕は瞳から光を失った。マスクの下で、僕が目を見開く。生きているのはマスクの僕だけになってしまった。 僕は死体になった僕を苦々しく見つめ、踵をかえす。 僕を殺した僕は朝の光のなかで僕ではないものになる。 光のなかでは誰も僕の殺人を止めることはできない。同じ闇のなかに降りてきてもらわなくては、僕の殺人を知ることもないだろう。 僕は光のなかで生きているあの人を、夜に引きずりこもうと浅ましくたくらんでいる。 いずれ彼女は僕を見るだろう。僕のおびただしい殺人の跡を見るだろう。 死体たちが葬られることもなく投げだされているのは、露悪の瞬間を心待ちにしているのだから。 そして僕はいずれの死体の例にもれず、常世の沈黙にうずもれることにした。 遠くで喝采の声が聞こえる。 僕でない僕は、僕という死体を背負いながら、今日もうまくやっているようだった。 2012.11.30up |