031:叶わないはずのいくつか

 大和田紋土には夢がある。
 かわいい恋人をバイクのケツにのっけて朝焼けの海岸沿いをハイスピードでぶっとばすとか。夏のプールの帰りに、濡れた髪をうっとうしくかきあげながらパピコを半ぶんこするとか。デートで新しい靴を履いてきちまったもんだから、靴ずれおこして歩けなくなった恋人をおぶって帰り道をたどるとか。雪の降りそうな寒い日に、コンビニで買ってきた違う味の肉まんを一口ずつかじりあうとか。色恋に慣れた者ならばそれのどこが夢なのか、と笑ってしまうような数々の夢想を、大和田紋土は人知れず大切にしていた。
 もっとも、大和田自身これが他愛もない妄想と大差ないと知っていたから、現実に達成できるかどうかはあまり問題ではなかった。バケツ一杯分のプリンを食べたいとか、ホールケーキを一人占めしたいとか、口に出すには幼い、けれど完全に否定してしまうと少し淋しい夢だった。
 石丸清多夏という恋人ができてもそれは同じで、大和田の胸の内には小さな夢たちが眠りつづけていた。超高校級に堅物の恋人は、ノーヘル二ケツは拒否するわコンビニの買い食いは禁止するわ足腰丈夫で倒れそうにないわと、大和田の小さな夢を否定してやまない。石丸に悪気はねぇし、そんな男に惚れてしまったのだから仕方のないことだと理解してはいるが、やっぱり物足らなく思う日はある。
 知らない道なら制限速度はごまかせんじゃねぇか? 買い食いじゃなきゃ肉まん喰うのはアリなんじゃねぇか? パピコはプールの帰りじゃなくてもいいか。――などと、大和田なりに考えてみたりもしたのだが、結局石丸を納得させる言葉が思いうかばないし、みみっちい妄想にこだわるのも男がすたるような気がしてなにも言えないでいた。


 ***


「これが兄弟の行きつけのラーメン屋さんなのだな! うむ、外観も内装も、まさしく男の店といった構えだな!」
「おう」
「兄弟は煮玉子とんこつなのだな! 僕はオススメのチャーシュー麺を頼むぞ! 君と一緒でとんこつだ!」
「ま、初めてここ来たんならチャーシュー麺一択だろ。チャーシューがここの看板だからな」
「ふふ。実は兄弟に話を聞いてからというものの、楽しみでしかたなかったのだよ。僕はあまり外食に行かないし、こういったファストフードを食べる機会もなかなかないからな」
 んなもんいくらだってオレと作ればいいじゃねぇか、なんて言葉が浮かんで、気恥しくなって「おう」と応えるだけに留める。石丸は初めてきた店にテンションが上がっているのか、厨房のほうを眺めてラーメンが運ばれてくるのを今か今かと待っている。背すじがのびきってるのはいつものことだってのに、背伸びをしている子供のように見えてどことなくおかしかった。


 思いを打ち明けあってからというものの、大和田と石丸は週末になると二人で外出をするのが習慣になっていた。特に約束をしたわけではないが、金曜になるまでには次の休みにどこへ行くかが決まっている。法律順守が大好きな恋人のために、大和田はヘルメットをかぶることになるのだった。
 今日のラーメン屋に行くのは水曜日に決まっていた。昼休み、男どもとどこのラーメン屋がうまいかなんて話になって、大和田は希望ヶ峰に入学する前に通いつめた個人経営の店がうまいと主張し、苗木は天下一品、葉隠は王将。桑田は銀座のとある店で、山田は豚のエサ――じゃねぇや二郎系こそ至高なんつってた。石丸はその主張をにこにこしながら聞いていた。
 兄弟もなんかねぇのか? とふってみると、石丸は外でラーメンを食べたことがないと首をふった。強いて言うなら母が作る即席ラーメンだ! と言いきって桑田に頭を抱えられていた。らしいっちゃあ、らしい回答に大和田も苦笑いを浮かべる。けれど、より戸惑ったのはその後、寄宿舎に帰って石丸が大和田の部屋に訪ねてきたときだった。石丸は大和田が主張した店に行ってみたいとのたまったのだ。いったいどういう心境の変化かと目を見開けば、むっと眉間のしわを深くして「君のお気に入りのお店に行ってみたいと思うことは、そんなにも不思議なことかね?」と反論された。わりぃわりぃと謝って、日曜日に行こうと指きりをして今に至る。

 大将の「お待ち」の声と共にラーメンが二人の前に現れる。大和田のラーメンはスライスされた煮玉子が扇形に展開されて、半熟気味の黄身が目に映えた。覗きこむと湯気がぶつかってきて、髪のセットが崩れないか気になるが、細かいことを気にしていてもカッコ悪い。割り箸を手にとる。
「おお……予想以上のチャーシューだ!」
 石丸のラーメンはチャーシューが全面を覆っていた。石丸はチャーシューに目を見はり、大和田を見て、それからまたチャーシューに視線を落として、再度大和田の顔を見つめる。
「すごいな兄弟! お椀いっぱいのチャーシューだぞ!」
「それがウリなんだよ。熱いうちにさっさと食えよ」
「そうだな! ではいただくことにしよう!」
 ぱん、と手をあわせ、いただきますと呟いて、石丸は割り箸とレンゲを手にとった。それを横目に箸で煮玉子をスープに沈める。ちょっと汁とからめたほうがうまいのだ。麺をすすると、昔とちっとも変らない味がした。
 ふと、大和田の胸の内で小さな夢が疼く。このラーメン屋に彼女を連れてきたら、なんて考えたことがあったのだ。大和田は大きな音をたてて麺をすするけれど、隣に座った彼女はレンゲにちまちま麺をのっけて、ちょっぴりスープを入れて、メンマをトッピングして、レンゲの上に小さなラーメンを作る。なにめんどくせぇ食べ方してんだよとからかうと、想像上の彼女は口をとがらせて、だってこういうふうにしか食べられないんだもん! とすねたものだった。
 考えてみれば、ラーメン屋に喜んでついてくる女なんてそうそういないような気もする。当時の自分がどうしてそんな思考に至ったのか、今となってはさっぱりわからない。頭をかきむしりたくなる恥ずかしさに、山田のよく言う黒歴史ってやつはこういうのなんだろうか、と遠い目になった。
「すごいぞ兄弟! チャーシューが箸で切れる!」
「だからそれがウリなんだっての」
 大和田の心境も知らずに石丸ははしゃぐ。すすった麺を咀嚼しながら横を見ると、石丸が箸で切ったチャーシューをレンゲの上にのっけていた。チャーシューの下には麺が鎮座しており、わずかながらスープが入っているさまも見てとれる。
「おい、兄弟、なにやってんだ……」
「ラーメンを食べているが?」
 なにかおかしな点でもあったのかね? と小首をかしげる恋人に、大和田はゆっくりと首をふった。
「いや。その、だって。おめぇよ、んな、ちまっちました食べ方、してたかよ。前に学食でカップ麺食った時は、威勢よくすすってたじゃねぇかよ」
「ああ、その時はレンゲが無かったからな。今日は外で食べるのだし、僕はこうして食べたほうが音もたたなくて行儀が良いと思うのだ」
「……そうかよ」
 理路整然と己の行動を説明する石丸に、大和田はうまく言葉が返せない。それを不機嫌のしるしととったのか、石丸は慌てて首をふる。
「いや、君の食べ方が悪いと言っているわけじゃない。ただ、僕自身がラーメンを食べる時はこうして食べたほうが好ましいと思っているだけなんだ。兄弟のように麺をすするのも世間一般的には認められている食べ方で、マナー違反ではないと思う。誤解を招く言い方だったな。すまない!」
 ガクンと首を落っことしそうになるような急スピードで石丸は頭を下げる。
「ばか、怒ってんじゃねぇよ。ちょっとビビっただけだっつの」
「ビビった? なんにだね」
「気にすんな。大したことじゃねぇよ」
「そうかね……」
 納得のいかない顔をする石丸のラーメンの上に、大和田は煮玉子をのっける。
「これもうめぇから食っとけよ。あと、んな食べ方じゃあ、さっさと食べねぇとすぐ冷めっぞ」
 話をそらすべく、食え食えと勧める。石丸は口をとがらせてなにごとか言おうとし、しかし諦めたのだろう。笑ってチャーシューを一枚すくった。
「では、僕もチャーシューを一枚進呈しよう。とても美味しいぞ!」
「知ってっよ。けど、ありがとよ」
「どういたしましてだ!」
 石丸はレンゲを空にして、また新たに小さなラーメンを作り始める。時々ふーふーと湯気をとばす姿を見ていると、あの時の大和田が見たかった光景がまさに実現しているように思えた。こんな小さな夢がかなったところで、人生が変わるわけでもないのだが、胸の奥から温かいものがじわじわとこみあげてきて、大和田はそっと下唇をかみしめる。レンゲの小さなラーメンの上に煮玉子がのっかって、それを石丸が食べることは、思い描いていた夢よりもずっと嬉しいことのような気がした。

2013.12.15up@privatter (「日曜日のラーメン」改題)
2014.03.30up