■注意
■いんことBJ先生の話。
■七千、マクジャ前提。
■いんことBJ先生の間に恋愛感情はありません。
■ロックといんこが交流していた時期があるという捏造を含みます。
そうだな、彼に心酔するヤツはいくらでもいただろうよ。あれは人間の鋳型でぬきだした滅びの概念だったからね。
ドクターにはわからないかもしれないが、ある種の人間にとって、滅びは耐え難い誘惑だ。遊園地にジェットコースターがあるのと同じ理由さ。転がり落ちていくこと自体にゾクゾクしちまう。そんな人間は確かにたくさんいて、そいつらが彼に魅せられるのも仕方のない話さ。
かくいう俺もその一人でね。
初めて出会った時のことなんかは、忘れようと思っても、忘れられるもんじゃない。
パリの、ちょっとした劇場だったね。彼は取り引きをしにその観客席へ座り、俺は観客席の間で仕事にとりかかってたんだ。長い劇だったんで、幕間の休憩時間のことだったよ。なかなか目ぼしい獲物が見つからなくて、その日は稼ぎが無いかと焦っていたんだが、さる夫人の胸元を飾るダイヤが――っと、これは先生には関係ないお話だな。彼の話をしよう。
彼は真っ黒いスーツに真っ黒いサングラス。いつもの格好ってやつをしていたよ。俺は思わず舌打ちするところだったね。あれで舞台がきちんと見えるはずない。劇場になにしにきたんだと思ったよ。彼が劇場に来たワケを知ったのは、もっと後のことだったが、ま、俺だってネンネじゃない。彼をとりまく目つきも人相も悪い男たちが、単純に劇を見にきたんじゃないってことぐらい察せるさ。そして、男たちを従える彼が、ただ者じゃないってこともさ。
マフィアが取引場所に衆人環視のある場所を選ぶことは意外によくあることだ。理由は色々あるんだろうが、割愛させてもらおう。ここで彼が俺のいた劇場に来た理由を詮索する行為に意味なんてない。どうしても理由が必要なら、そうだな。運命とでも理由づけてしまえばいいさ。神様たちの賽のまま、俺の人生は進んでいくのさ。
ともかく俺は彼を見つけて、彼が俺の劇を見ちゃいないと悟った。俺はそれが無性に悔しくってね。なんとしてでもこっちに目を奪わせてやろうと次の幕はやけに熱くなっちまった。
ん? なんだか言いたそうだねドクター。俺らしくないとでも?
そうかね? こと、演劇とあっちゃ、俺は一歩も譲らないぜ? 相手がマフィアだろうが悪魔だろうが、お客はお客。俺の演技を見せるからには、魅せきってみせるさ。それが、この俺、七色いんこが名優たる由縁だからね。妥協なんてもんはないよ。それが俺のポリシーだ。
――っと、話がそれたな。すまないね。演劇となるとつい熱くなっちまうんだ。
本題は彼、暗黒街の皇太子、悪魔の申し子間久部緑郎だ。ドクターにとっちゃ、俺のポリシーなんてどうだっていいんだろうね。
今にして思うと、その時にゃもう、彼にあてられていたんだろうなあ。
舞台が終わって、夫人からお代を頂戴したあと、俺はさっさとトンズラこくべきだったんだ。なのに未練がましく次を探していたのは、やっぱりそういうことなんだろう。俺はすでに、彼に夫人の宝石と同じような価値を見出してしまった。獲物を探すってわりには、目線はふらふら定まらないし、仕事中は他人の気を引くなんてもってのほかなのに、人にぶつかってはExcuse,meをくりかえしてた。
そんな俺がうろつきまわったあげく、ゴロツキ連中に肩をぶつけるなんて展開になることは、ドクターにだってあたりがつくだろう? ゴロツキが彼のとりまきで、不審な俺の首根っこをつかんで外に連れてったなんて展開はもうお約束。ついでに、ボコボコにされる寸前で彼がやってきて、面白いネズミじゃないかとかなんとか呟いて、素性を吐かされて俺の演技を利用されるとか……ああなんて陳腐! こんな脚本じゃ全然ノれないんだが、残念ながらそこは舞台じゃなかったんだ。
どれだけ安っぽかろうが、出会いは出会いさ。そうして、俺は間久部緑郎に出会ってしまった。白状すれば、彼の悪行を助けたのは一度や二度のことじゃない。なにかと世話になったこともあったしね。彼のような人間と持ちつ持たれつの関係を築けたことは、裏社会での俺の地位をそこそこのものにしてくれた。世の中、お金の力が一番って言うけど、人脈の力ってのも、なかなかバカにできないね。そうだね……相応のいい目を見せてはもらったさ。彼が逮捕されて、芋づる式にお縄をかけられた悪人たちはいっぱいいたが、俺だってそのうちの一人になってたとしてもなんら不思議じゃない。俺が捕まらなかった理由? ハハッ、そこは企業秘密ってことで。
暗黒街の皇太子を逮捕できたんだ。当局にとっちゃ俺みたいなコソ泥の一匹二匹、痛くもかゆくもなかったんだろう。その後のことは報道の通りさ。司法は真面目にお勤めを果たして、彼はギロチン台に送られた。偉大な皇太子を失って、暗黒街は結構荒れてたみたいだけど、トンズラこいてたから俺には関係ない話だね。暗黒街の権力があったって舞台に出られるわけじゃなし。そりゃ、あればあったで便利だろうけど、死に物狂いで欲しがるもんでもない。今から考えてみりゃ、そういうとこが彼の気をひいたのかね。
で、ドクター。あんたはなにが聞きたいんだい? 俺が関わった悪行の詳細? やめてくれよ。あんたも脛に傷持つ身だろ? それとも警察の目をかいくぐった彼の隠し財産のありか? そりゃ残念だけどお門違いだ。俺はそんなもの知らないよ。ゴタゴタに関わりたくはなかったんでね。シリアスな話題には耳を塞いでたんだ。それに、金の亡者と名高い先生のことだ。遺されてるかもわからない財産をかすめるよりもブルジョワにふっかけたほうが……おっと、そう睨むない。あんたが金目当てなんかじゃないことは、最初っからわかってたさ。
なぁドクター、これは幸運にも、彼に中途半端に関わることのできた人間からの素直な忠告だ。
あいつにゃ関わるな。
逃げられるうちが幸いだ。ケツまくってさっさと逃げな。言ったろう? あれは人の鋳型でぬきだした滅び。生き死になんて関係ないんだよ。忘れちまったほうがいい。あれを人だと思っちゃいけない。
え? なに? すべて終わったこと? だから、大丈夫? ふぅん……。俺にゃあそんな目には見えませんがね、ドクター。あんた、分別ってもんを無くしちまったみたいに見えるぜ? まるで恋する乙女みたいにさ、地上から足は離れてふわふわうろつき、瞳は熱に浮かされくらくらめまい。つまり正気の沙汰じゃないってこと。そうだ。コーヒーのおかわりはいかが? 一息ついて冷静に……ああ、そう。
わかったよ。茶化したのは謝ろう。あんた、とっくに魅入られちまってたんだな。だから俺なんかに話を聞きにきたんだ。彼を辿って、彼をとりこぼさないために。あんたは彼の破滅すら受け入れる気かい。とっくに終わっちまった話を抱えて、生きていくつもりなのかい。はっ、俺の忠告はバカみたいじゃないか。
あんたの気持ちはわからないでもない。……俺もね、絶対に譲れない人がいるんだ。けどやっぱり、オススメはできないな。俺だって、自分が気楽な道を歩いているとは思っちゃいない。だけど、そうせざるをえないんだ。彼女は俺の運命の人だから。
あんたにとっちゃ、彼が運命なのかね……。
フフッ、驚いたなドクター。あんたそんな顔もできるのかい。
じゃ、なにを話そうか。あんたの望むままお話ししようじゃないか。即興劇はあまりやらないんだが、苦手だとは言っちゃいない。天才役者七色いんこに再現ドラマを依頼するなんて、そうとう贅沢なことだってこと、よーく肝に銘じてくれよ?
了