034:焼き付けた風景は

 そして、僕はアメリカに強制留学することになった。
 与えられた猶予はほんの数日で、それさえも監視の目がついている。学校の送り迎えが車になったのは小学生ぶりだな、と思いながら僕は父の部下である黒服たちに一切の行動を縛られていた。
 そんな状況で彼女――モモ子ちゃんの元へ行けるはずもない。第一報で彼女が危篤であると知って以来、僕には何の情報も与えられなかった。ただ歯噛みして過ごす執行猶予の日々。傍から見れば僕は、父に刃向かうことをやめ、大人しく服従の膝をついた息子に見えたことだろう。彼女を失って光を忘れたまなざしは、演技ではなく本物だったのだし。けれど、心に燃えていたのはただ一つの思い。
 ――誰が、思い通りになってやるか。
 このまま言いなりになるつもりはなかった。いずれ隙を見つけて、監視の下から逃げ出してやる。僕は必死で黒服たちを観察した。人間はロボットじゃない。いつかどこかに隙ができる。僕がすべきことはそれを正確に把握し、チャンスを逃がさずがっしりと捕まえることだ。
 今のところ、そのチャンスは国内では訪れる様子はなかった。中学生の身では行動範囲は限られるし、逃亡場所もたかが知れている。しかし、異国の地では? 自分にとっても見知らぬ場所ばかりだが、逆に言えば黒服たちにも未知の場所であると言える。僕はそのチャンスに賭けていた。

「坊っちゃん」
 下校の車の中だった。うつむいて、胸の内の炎を暗く燃やしていると、ふいに運転席から声がかけられた。
「少しばかり、遠回りして行きましょうかね。あっちに渡ったら、なかなか戻っても来れねぇだろうし」
「……じッちゃん」
 助手席の黒服が運転手を睨むが、じッちゃんはそしらぬ顔だった。僕が小さい頃から家に出入りするじッちゃんは、時々運転手の仕事もする。今日はいつもの運転手の代打らしい。
「毎日毎日、学校と家の往復じゃ腐っちまいまさぁ」
「父さんに怒られない……?」
 おそるおそるうかがうと、じッちゃんは呵々大笑する。坊ちゃんのしたことに比べたら、これくらいのことで旦那様もめくじらたてますまい、というのがじッちゃんの弁。ぼくが小さく笑うと、じッちゃんは家の方向へ曲がるべき場所で、反対にハンドルをきった。
 流れていく景色が変わる。顔をあげて窓の外を眺めていると、心なしか速度が緩んだようだった。
 落ちていく陽が、街をオレンジ色に染めている。ぼちぼちと明かりをつけ始めた団地の棟。たわんだ電線に整列する雀たち。前かごにスーパーの袋を積んだ自転車とすれ違う。歌でも歌っているのか、後ろに乗った子どもの大口が開いていた。
 街路樹がはらりと葉を落とす。そろそろ秋が訪れるのだろう。けれど、この街の紅葉を僕が今年見ることはない。いや、もしかすると永遠に。
「じッちゃん」
「なんです?」
「……ありがとう」
 運転席を見るのは気恥しくて、僕は景色を見たまま口を開いた。じッちゃんが僕の心の中を知っているとは思えないけれど、家の中で誰よりも僕の心に寄り添ってくれているのは確かだろう。きっと、血を分けた父よりも。
 瞬きすら惜しくて、僕の瞳は乾燥していく。車は数日前にぼやを出した団地の前を通り過ぎていく。植えられた木々のせいでよく見えないけれど、出火元の部屋に明かりがともっている様子はなかった。
 この場の誰にも車を止めることはできない。速度を落としているとはいえ、団地は無情にも後方へと消えてゆく。次の曲がり角では、ハンドルが家の方角へきられた。
 過ぎ去ってゆく背景。徐々に近づいてくる牢獄に似た我が家。もう、二度と見ない風景。
 僕はそっと目を閉じた。これまでの全てを目蓋の裏に焼きつけるように。
 乾いた瞳を慰めるように、一条の涙滴が流れたことを、誰も指摘する者はいなかった。

2011.02.03up

青い鳥で出てきたじッちゃんが、いんこに対して敬語を使ってたなんてことはないけれど、
黒服の前だし、一応まだ勤めてる先のお坊ちゃんなのだから、いちおうデスマス調になるんじゃないかな? と、少し捏造しましたごめんなさい。