■希望ヶ峰時代
「風邪の予防は、毎日の手洗いうがいからだっ! さぁ兄弟、洗面所に入りたまえっ!」
放課後バイクでひとっ走りしてきたあとに恋人の部屋を訪ねると、開口一番保健室のセンコーみたいな訓示を垂らされた。
残念ながら恋人は、白衣でメガネでボインでタイトスカートからむちむちの太ももをのぞかせているような保健室の女教師ではない。ブレザーで、いがぐり頭で、胸筋たくましく、ある意味ボインではあるが、タイトスカートを履くように言ったら唾を飛ばして激高するだろう。
兄弟、いったいどんないかがわしいカストリ雑誌に影響されたのだね! 確かに僕は女役かもしれないが、かといって女になりたいわけではないっ! 男同士ではあるが君が好きだからこういった行為に及んでいるのだし、僕は君と体を重ねることで肉体の欲求を発散するだけではなく、むしろ精神の結びつきをより強固なものとし、僕らの心を確かめあう高潔な行為と認識しているのに、そんなことを……っ! そもそも君は下世話に流れる傾向があるとわかっているだろうか、兄弟として忠告したいのはもちろんだが、風紀委員としてもひとつ言わせてもらうのならば……うんぬん。
ごく太眉毛をつりあげて、どっかにカンペでも隠してるんじゃないかってくらいの長々としたお説教を始めるだろう。
石丸清多夏。
360度どこからどう見ても、むちむち女体とはほど遠い男が、大和田紋土の恋人であった。どうしてこんな男を好きになってしまったのかと首をかしげる日もあるが、物事を分析するなんてこと、大和田にはあまり縁のないことであった。好きになっちまったもんは仕方ねぇだろ、と結論づければ、大和田の脳内議会は全会一致で承認する。たいがいが単純にできているのだ。
今だって、手洗いうがいなんてかったるいが、無視したら始まるお説教を聞くのは更にかったるいと単純に結論を下す。暴走族の総長が素直にガラガラペッ、なんて、総長どころか男の沽券に関わってくるような気もするが、難しいことは考える気にならない。ニコニコ顔でさしだしてきたコップと交換で、左手に下げていたコンビニ袋を渡した。
「肉まん買ってきたからあとで食おうぜ。新発売の黒胡椒油芋まんだってよ」
「むっ、また珍妙な味が発売されたものだな。肉まんなのに油芋なのかね?」
「コラボってやつだろ? この前の最速カップラーメン味とコラボした油芋、美味かったろうが」
「袋を開けて5分しないうちに湿気ってしまったがな……」
二人して必死にかきこんだのを思い出したのか、石丸は苦笑いしながら肉まんを受けとった。机に広げたの勉強道具を片づけ、コンビニ袋を上に置く。茶でもいれてくれるかもしれない。大好きな勉強を中断して、二人で過ごす時間をとってくれることを、大和田はひそかに好いていた。
蛇口をひねり、コップに水を入れていると、狭い洗面所に石丸が体をねじこんでくる。
「また寒そうな格好で、バイクに乗っていたんだな。タンクトップにブレザーって、秋口からそんな服装じゃないか? もうすこし防寒具をつけることをオススメするぞ」
「グローブは冬用のつけてっからよ、それでいいじゃねぇか」
「それだけで寒さが防げるのかね?」
返事をせずに喉へ水を流しこみ、ガラガラと音をたてると、石丸はむっと口をとがらせた。こういうとき、口がうまいやつは「だったらおめぇがオレの防寒具になれよ」なんて言って抱きよせたりするんだろうか。ついでにキスのひとつでもするような自分を想像して、大和田はうがいの水を吐き捨てた。さすがにそれはないだろう。
「兄弟、僕は君の防寒具にはなれないのだぞ」
心を読んだかのように石丸が大和田を見つめる。思わず、は? と返事をすると、石丸は素早い動きで大和田の首に十本の指をくっつけた。
「冷てぇ!」
石丸の指先は、さっきまで外にいた大和田の肌よりも冷えていた。質実剛健の銘のもと、あまり暖房をかけない石丸だから不思議ではないのだが、急に接近した顔に、返す言葉がつまる。
「冷え性というわけではないのだが、子供のように体温が高いわけではないのだ。僕で暖をとることは難しいんだぞ」
わかったらちゃんと温かくしたまえと、ずずいと全身で近づいてくる石丸から視線をそらす。真面目かクソが、と言い捨てるのを我慢したはいいが、語気は荒くなっていた。
「あのよ……誰が、いつ、どこで、おめぇであったまるっつったよ?」
「……むっ」
指先で首をはさんだまま、石丸は硬直する。貝のように口を閉ざして、油をさしていない機械のようにギギギと首を横へむけようとしたが、ダレがが逃してやるものか。いがぐり頭を上からがっしりつかむ。
「おい、こら。白状しやがれ兄弟! おめぇ、今なに考えてやがった!」
「考えていないっ! 兄弟の冷めたい頬や指先を僕の体温であっためてあげたいなどと、腐川くんが書く小説のように甘くって胸がふわふわして軟弱なことなど、一ミリだって考えていないぞっ!」
「言ってんじゃねぇか!!!!」
最大音量でツッコミを入れても、石頭はかたくなにイエスと言わなかった。洗面所での痴話喧嘩がおさまって、机に置き去りにしたコンビニ袋のことを思い出したころには、肉まんはすっかり冷めていた。
了