059:厄介な情交

■注意
■若干の性描写を含みます。
■ラブラブとは程遠い七千。



 額に浮かぶ青い血管を見ないふりして彼女に口づけた。
 はじめは指先に、さかのぼって手の甲。白い、けれど貴婦人の如く細くはない腕をうやうやしくかかげ、抱きよせようとすると、ひどい視線が彼を貫いた。
「興がのらない?」
 彼はおどけた濡場にはそぐわぬ、明るすぎる笑顔を彼女に見せてみた。素顔とはまったく別人のはずの顔なのにごく自然に本人が微笑んでいるように見えるのは、彼が一流の役者だからだろう。もっとも彼自身は、己を猿真似役者と揶揄しているが。
「着衣じゃ嫌? 幕間の休憩時間じゃ嫌? オレの楽屋じゃ嫌? ベットの上でなくちゃ嫌?」
 彼は歯切れよく問いかける。
 道化じみた鬘に、赤色の目張りをした仮面。嫌味ったらしい白いコートと、紳士を気取る白のステッキ。
 七色いんこというふざけた名を持つ彼を描写するなら、これくらいで十分だろう。
 けれんみたっぷりの格好はしかし、彼がアトリビュートをなくせば没個性化することを意味している。長い間いんこを追いかけてきた彼女――千里でさえ、代役の配役を知らなければ、誰がいんこかを見分けることができない。
「ほざいてろ」
 視線から凄みは消えなかった。だが彼は睨みつけられながらも、舌を腕に這わせるのをやめない。代役専門の舞台役者という性質上、度胸だけは無駄にあるらしい。上着のボタンをはずし、鎖骨に唾液を残してゆく。
「つれないこと言わないでよ。オレとあんたの仲じゃない」
 たわわに実った乳房の柔らかさを享受しながら、彼がささやく。つい先ほどまで舞台にあがり、再度開幕のベルが鳴ればまた観客の前へゆく彼は、メイクを落としていない。鬘も仮面もかぶっていない。彼女が知らない人の顔で、彼は彼女に愛を乞うのだ。
「あんたが、勝手に、サカってるだけでしょ」
 軽蔑とか、侮蔑とか、そういった類の感情をぶちこんで、唾を吐いてやる。これまでに何度となく開かれた体はもう、しとどに蜜をたらしていたが、彼女の心だけはかたくなに閉まったままだった。
「最後までそうしてるつもり? そういうプレイも、そそるにはそそるね」
 不敵に口の端を吊り上げて、彼は千里の体を南下していった。彼女の指よりもずっと細い十指が、繊細に女体をなぞる。湿った吐息が漏れるのは時間の問題だった。
 だからせめてもの抵抗に、千里は固く両目を閉じる。知らない男の顔をした彼に抱かれるのではなくて、素顔を知らない彼に抱かれるのだと思いこむ。なにも見えなければ、他人に抱かれる錯覚を味あわなくて済むのだから。


「あんたって、サイテーよね」
「そうかもね」


 怨嗟をさらりと流すいんこに怒りを覚えながらも、徐々に迫りくる快楽に飲みこまれ、彼女は嗚呼と喘ぎ声を漏らした。

2009.04.30up