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061:子どもの頃の彼ら

 おれたちはあなたがたが望む子供らしさから、遠くかけ離れた地点にいただろう。
 おれはひとりじゃ歩くこともできず、陰気な目で床を見つめてばかりだったし、彼は端正な唇から悪意に満ちた嘘ばかりを溢れさせていた。あなたがたはおれの身体の取り扱いに眉をひそめ、彼の精神の取り扱いに苦虫を噛み潰していた。だから善良なあなたがたはおれたちが互いに手をとったことを奇妙に思いながらも、ほっと胸をなでおろしたのだろう。
 彼――間久部は少なくともおれにだけは嘘をつかなかった。つなぎめだらけの体を目にし、とり繕うように「醜くないよ」なんて心にもないことを言わなかった。自由に動かない手足に「きっとすぐに良くなる」なんて慰めを告げなかった。
 ただ彼は砂鉄のような睫毛に縁取られた瞳でおれを見つめる。憐れみを含まない無機質な視線は、標本に刺すピンだった。日陰に住む甲虫のように体をまるめたおれをどうすれば展足できるかと、ピンは爪先から指先までさまよった。
 淡紅の唇が動いたのは、うつむいた頭にピンを刺すためだったのだろうか。
「黒男は変わってるね」
 おれはなにも応えなかった。当時のおれは誰になにを言われても、沈黙しか返せなかった。かけられる言葉が侮蔑のためであろうと、親切心からであろうと同じことだった。
 きれいな言葉も汚い言葉も、うつむいた頭の上を通りすぎて、明後日の方向へ飛んでいった。あなたがたのどんな言葉であろうが、おれの心を震わせることはなかった。地雷で体と共にふっ飛ばされたおれの心は、まだ抜糸もできずに弱々しく呼吸するだけだったのだから。
 だが彼はおれの沈黙に頓着せずに言葉を続けた。
「ぼくといっしょだ」
 誰かの声で顔をあげたのは、それが初めてのことだったと思う。
 常々利発そうと言われているだろう、整った容貌に、ふっくらとした頬。白い肌は適度に日にさらされたらしく、青白いおれとは同じ白さでも質が違った。軽くカールがかかった前髪は漆のように艶を持った黒で、きっと色素をなくすような経験などしたことがないに違いない。
 間久部のピンは見事におれの心臓を突き刺した。
「どこがいっしょだっていうのさ」
「……さぁ?」
「――っ」
 彼に初めて応えた言葉が反発のためだったと知れば、あなたがたは疑問に思うのだろうか。それとも幼い子供たちのことだと、微笑ましく思うのだろうか。
 彼はおそらく、すでにあなたがたの想像を遙かに超えた地点にいた。おれでさえも彼を理解することはできず、彼が何故おれに話しかけたのかも今となっては永遠に知ることはないだろう。
 優しく常識的なあなたがたからおれは何度も手をさしのべられたが、おれの顔をあげさせたのは間久部だけだった。彼が出した手だけが、握り返す価値があった。



 成長したおれたちが選びとった道を見て、あなたがたは言うのだろう。やっぱり。と、あなたがたは常識的な言葉を紡ぐ。彼の破滅を当然の帰結として受け止める。
 そうして子供らしくなかったおれたちは、善人がゆく天地から程遠い場所で眠るのだろう。あなたがたは安堵し、二人の悪人が消えてきっとこの世は少しだけ、あなたがたが考える正しさを取り戻す。
 あなたがたの瞳も言葉も届かないところでもう一度、おれは彼に訊ねるだろう。どこが同じなのかと。きっと彼ははぐらかすに違いないが、今度はおれと彼との共通点を言える気がするのだ。
 心臓に刺さったピンは、まだ抜き取られていない。
 たがいに随分変わってしまったけれど。
 間久部、おれとおまえは

2011.11.16up