[PR] この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

076:その矛盾に気付かない

ニ万同盟のはせさんの「男谷が実在したら」という設定をお借りしています。
■こちらをご覧になる前に、はせさんの「影と添う」をお読みになった方がよろしいかと。(確かにとっても暗いのですけど、とってもお勧めですのよ……!)
■色々と捏造注意。なんでも許せる人むけ。




 次の日の朝、俺は男谷マモルの提案を断った。


「何故ですか?」
 と、首を傾げるやっこさんは、自分の提案サジェスチョンが当然受け入れられるものだと思っていたらしい。目が開いてから初めて蝶を見た子猫のようにぽかんと、しかし沸きだす好奇心を隠そうともせずに身をのりだしてくる。獲物を狙う子猫が尾を揺らすのを我慢できないように、奴も自らの知的欲求には素直に従ってしまうらしい。
 面倒くさいことになったと、俺は内心でひとりごちる。こいつがそんな目をする時は大抵、満足するまで離しちゃくれないもんだ。
「なぜって、そりゃ――」
 続く説得の台詞が見つからない。説明せずとも理解するだろうという当初の予想は甘すぎたらしい。俺が断ることで、自分の提案の異常性に気がつくと思っていたのだ。
 俺の逡巡などはみじんも意に介さずに、男谷はだって、と子供じみた接続詞を口にする。
「だって君が損することなんてひとつもないじゃないですか。偽造しなくたって菊のマークのパスポートが手に入る。戸籍に保険証、車の免許だって、危ない橋を渡ることなく手に入れられるんだよ? それに、まったく架空の人物を演じるより、実在の人物になりすました方が、捕まるリスクはぐんと低くなると思うな。警察からも、……君専用の追っ手からも」
 すました顔のなかに意地の悪い笑みを同居させて、男谷は大きくカマをかけた。こいつに俺の過去を話したことはない。本名も告げていなければ、素顔だって見せたことはない。
 なにも知らないくせして、なにもかも知っているような口を聞く。人をたぶらかすすべには随分と長けているようだ。だが、その手にのってやるわけにはいかない。
 俺は演出過多に肩をすくめ、両手をひらひら泳がせた。
「あいにくと、俺はあんたみたいにお人よしじゃないんでね。無償の善意なんか信じてないんだ。ウマい話には裏があるってのが、小学生からの信条さ。甘い期待をして足元すくわれるのはゴメンなんでね」
 これでこの話はおしまいだと言外に告げるべく、手を打って乾いた音を響かせる。男谷は軽く頭をふって、ため息をついた。
「信用ないなぁ……。これでも僕、だいぶ君と仲良くなったと思っていたんだけど」
「それ本気で言ってるんだったらあんた、オツムのほうが相当重症だぜ」
「フフ……照れ隠しはやめてくれていいんだよ?」
 口を動かす気にもなれなかった。眼球を必要最低限の長さだけ動かして、心底呆れた視線を飛ばす。今度肩をすくめるのは男谷の番だった。
「どうしてもダメなんですか? 僕はもうすぐこの舞台から姿を消す。だから君が僕を名のり、僕になりすまして生きていく。どうやら君は逃亡者で、真実を明かすつもりは無いみたいなんだから、僕の人生の続きを演じるのになんの支障もないはずなのに」
 昨日告げたとんでもない提案を繰り返す男谷は、まだ諦めていないらしい。
 俺は奴に聞かせるべく、深い深いため息をついて唇を開いた。
「とにかくお断りだよ! 俺は代役役者、七色いんこだ。それ以上でも以下でもない。あんたを演じるなんざうんざりだ」
 きっぱりと言い切って、俺は奴から視線を外した。いつまでこの問答をくりかえせばいいのか、とうんざりした気分になったが、男谷の反応は俺の予想を越えていた。
「アハハハハハハハハハ! それが君の答えなのかい!?」
 はじけた哄笑は虚ろを孕み、男二人の室内に勝ち誇ったように響いた。ぎょっとして視線を戻せば、男谷の顔からとりすました表情はどこかに消えてしまっていた。意地の悪い――というよりは結末を知っている悲劇を見る観客の、憐れみと優越のまじった笑みが彼の唇を奇妙に歪ませている。
「なるほど、君は七色いんこ以外の何者でもないと言うんだね!?」
 笑い声は響きつづける。針の飛んだレコードのように単調な音を紡ぐ彼は、すでにこの世の人ではないようにすら思えた。
「男谷マモル……?」
 名を呼ぶと、ヒーヒー言いながら奴はようやく哄笑をやめた。笑いすぎて出てきた涙をぬぐい、ごめんごめんなどとほざく。
「だって、あんまり可笑しなことを言うものだから。君は七色いんこ。確かにそうだ。他のだれが認めなかったとしても、僕だけは君が七色いんこだと認めよう。でもね、だったら君はいずれ僕を演じることになる。君が七色いんこであるかぎり、その未来からは逃げられない。君はきっと、僕を演じる――僕になる」
 歌うように、さえずるように、男谷は言った。その呪いのような予言を、俺は顔をしかめて聞き流す。
 昨日の提案といい、この口ぶりといい、こいつの頭のおかしさは折り紙つきだ。学者馬鹿なんて言葉があるが、それがぴったりだ。机にかじりついて勉強ばっかりしていると、ある種の馬鹿になっちまうらしい。
 処置なしだねと呟いて煙草に火をつけるが、男谷はそんな俺の皮肉を意に介さず、ニコニコしている。



 だから俺は、本物の"男谷マモル"に幕が下ろされる日が来るまで、奴の呪いに気付かなかった。
 そして気づいた時にはもう、全てが遅かったのだ。

2012.07.29up