「いんこのばか」
彼の胸におでこをくっつけて、万里子はむすっとつぶやいた。
「いんこの大ばか」
拳を作った白い手で、力なく胸を打ちつける。
「おたんこなすのどんかんへんちくりんにぶすけやろー」
拳がもう一度胸を叩く。相変わらず力はこめられてないものだから、痛くはない。
ぽふ、とまるで甘噛みのように、拳はいんこの胸に着地する。
「ばーぁか」
ぐりぐりとひたいをすりつける。ちょっと押されてたたらを踏んだけれど、倒れるほどではない。
それよりも、顔が見えないのが嫌だった。
「刑事さん、言葉攻めで俺を倒そうとするなんざ、100年早いと思いますがね」
言いながら肩をつかんで、千里の表情を見ようとする。
けれど、彼女はむきになって、いんこの背に腕を回した。帽子のつばが潰れている。
「ばか。ホントばか」
彼を拘束する腕は、先ほどの拳とは別人のもののようにかたい。抜け出すのは至難の技のようだ、と内心溜息をつくと、千里はさらにひたいを押しつけた。
「あたしがここまでしてんのに、どーして、ぎゅって返してくれないのよ。陽介くんのばか」
「――っ!?」
肩に置いていた両手が宙を舞う。あまりに素直すぎる言葉が一瞬信じられなくて、目を白黒させるが、どうやら間違いではないらしい。まわされた腕がそれを物語っていた。
「あーーっと、その」
ひらひらと、両手に意味のない動きをさせてから、彼は覚悟を決める。
両想いの関係だって、大好きな人を抱きしめるには勇気が必要なのだ。
「ごめん」
気がつかなくて、とわかりきった言葉は喉の奥にしまっておいた。両腕で捕まえてしまうみたいに、千里を抱きしめる。
「いんこのばか」
返ってきた言葉はあいかわらず暴言だったけれど。
「耳真っ赤にしてる刑事さんに言われたくないね」
「……ばか」
了