まぼろしのひかり






 すべてを終わらせるゲームを始めようと思ったのだ。

 三千年前から脈々と続く光と闇の終わりなき闘い。最初に賽をふったのが誰だったのか。もはやそれすら分からないが、決着がついていないことだけは確かだった。
 望みはひとつ。誰ひとりケチのつけられない、まったきの勝利。不満の声すらあげる者のいない荒漠の虚無。すなわち、この世界の滅び。生きとし生けるものすべてが沈黙し、消滅し、一条の光芒すらなく、無とも くう とも知れぬ闇がぽっかりとただよう。そんな音無しの終末を夢見て、これまで永らえてきた。
 その望みが人の身であった頃からのものなのか、 邪神 ゾーク に植えつけられたものなのかは、もうわからなくなってしまっているけれど。

 とにかく、バクラはゲームに勝ちたかった。
 そのために策を巡らせるのは、彼にとってはいつしか、呼吸することと同じことになっていた。
 屈強な体を失い、生きていたころの記憶も時のむこうにかすんでしまった。盗賊の王と名乗っていたことだけをかすかに覚えている。盗賊村の亡霊と共に、王への復讐心だけで生きていた。三千時を経て、憎悪は研ぎ澄まされ抽象化され、具象は消えてしまった。
 故に、何故憎むのか? と問われれば、バクラは口ごもるだろう。バクラは世界を憎むために、復讐を遂げるために、リングのなかで牙を砥ぎ続けている。
 それを空疎な破滅だと糾弾する者はどこにもいなかったし、彼はそれ以外の生き方を知らない。


 ――挑むのはTRPGの再戦。
 前回は宿主・獏良了の反抗によって敗北を喫したものの、それさえなければ圧倒的優位に立っていたバクラが勝ちをおさめていただろう。もう一人の遊戯――名もなきファラオの腕は確かに脅威だが奴とて人の子。絶対ではない。
 敗因がわかっているのならば、それを潰せばいい。
 どうあがいても勝てない完璧なシナリオを作りあげればいい。
 三千年前、奴は厳密には邪神に勝ってはいない。己と邪神をパズルに封印するという荒業でドローに持ちこんだのだ。世界を滅ぼすという邪神の目的は達成されなかったが、邪神を倒すという王の目的も達成されなかった。
 ならば再び同じ状況を作り、王からパズルをとりあげてやればいい。
 盤上に広げた舞台は、三千年前の始まりの地だった。今でこそ古代エジプトと呼ばれ、廃墟をさらす観光地と化しているが、ナイルのほとりに栄えた王国は、バクラの故郷であり、千年アイテムの誕生の地だ。そこでは歴史に残らなかった人間たちが息づき、暮らし、そして血を流して死んでいった。王と邪神の闘いで、幾千と散っていった民たちは今、ボードの上でかりそめの命を与えられている。
 仮想空間と言えば、話が早いだろうか。
 プレイヤーであるバクラと遊戯が直接操らない限り、キャラクターたちは各々自由な――しかし三千年前と同じ――行動をとる。
 プレイキャラクターは少年王。そして千年リングに眠る盗賊の魂。半ばバクラであり、半ばはただの邪念と化したそれの記憶を引きずりだして、宿主に再現させた。仮に、プレイヤーの操作なくゲームをスタートすれば、キャラクターたちは三千年前と同じ歴史を紡ぎだすだろう。期間の設定は少年王の治天のはじまりから、彼の魂がパズルに封印されるまで。
 しかし実際にプレイをする時には、一度使ったパズルは再使用できない。バクラともうひとりの遊戯がゲームをしさえすれば、そのまま世界の滅びにつながっていく。
 それでも万に一つの可能性もないように、未確定な芽はつんでおくべきだ。
 バクラはテストプレイをくりかえし、かりそめの王と神官どもを何度となく葬った。勝利はわが手にある。だが、ひとりだけ気がかりなキャラクターがいた。
「白き龍を宿す女、か……」
 小さく、しかし広大な世界を宿すボードを睥睨し、バクラは腕を組んだ。
 辺境の砂漠で細々と物乞いをして暮らす女。白い髪に白い肌という、この国ではほとんど見られない外見のせいで石持て追われているが、身に宿すカーは神に匹敵する。
 この小娘がセトと出会ったことで、王国軍の戦力は一転した。良い方に、ではない。女のカーを手に入れたセトは、王に従う道にも、邪神に魂を捧げる道にも背を向けて、ただただ、女の復讐に血道をあげた。
 セトがファラオの戦力から外れることはこちらにとっても好都合。神に等しい力を持ちながら、邪神に牙をむくことがないのは願ったりかなったりだ。そのために女は命を失うが、セトの恋慕も女の思慕も、バクラが知ったことではない。何度か女のシナリオにも手をいれてはみたが、大筋はさして変わらなかった。
 どんな設定を組んでみても、女の運命は決まっている。
 セトと会えば、セトのために命を落とす。
 セトをかばってだったり、アクナディンの手にかかってだったりと、死に際は何パターンか存在しているが、セトと出会い、死ぬという点では古代から一毫たりとも変わらない。セトと出あわないパターンも試してみたが、そのうちに訪れるバクラの勝利と共に闇に落ちて死ぬ。

 何度もテストプレイをくりかえし、バクラは何度も女の死に際を見てきた。何千回死のうと、女の顔は同じ表情を浮かべていた。
 何度見ても、不可解な表情だった。

 ふと、バクラは気まぐれを起こしてボードの砂漠に意識を集中させる。
 思い出すのは乾いた風。灼熱の陽ざし。焼けた砂の熱さ。
 ゲームボードに、すなわちTRPGの世界に降り立つことは難しいことではない。急降下していく感覚と、体に風が吹きつける感覚。まばたきをした数瞬後には、赤い外套がぶわりと風を孕んでゆれていた。青白く細い腕が筋骨隆々とした褐色に変わっている。プレイキャラクターの盗賊の姿に変わったのだ。サンダルの下は固い床ではなくて、細かい砂の海が広がっている。慣れることはできても好きになることはできない太陽の熱射線が肌を刺す。
 ぼろを巻きつけてうずくまる女を見下ろして、バクラは女の名を呼んだ。
「おい、キサラ」
「あなたは……?」
 突然目の前に現れた男に、女は青い目を見開く。
 女は砂漠の果て、打ち捨てられた家の影でうずくまっていた。バクラはその目の前に降り立ったわけだが、女の眼前に広がるのは茫漠の砂漠だけだったのだ。それがなんの前触れもなく表れて、己の名を呼んだとあれば、不審に思うのが普通だろう。だというのに、女は何度かまばたきをしただけで、凪のような表情を浮かべていた。
 とはいえ、女の奇矯さは今に始まったことではない。バクラはキサラの反応に頓着せずに話を続けた。
「ひとつ、教えてやる。てめぇはこのままでいれば死ぬ。セトと出会えば必ず死ぬ。王が勝っても死ぬ。セトと会わずにいたとしても、シミュレート上では大概死ぬ。そもそも俺様が勝つから死ぬ。あがいてもあがかなくても死ぬ。馬鹿みたいに死ぬ。笑えるくらい死ぬ。死ぬために生まれてきたみたいに、死ぬ」
 キサラはきょとんと首をかしげる。
「まぁ、そんなことは大したことじゃねぇ。俺様が勝てば、この世界の誰もが死ぬ運命だ。強大な力を持つが、てめぇも運命に流される凡百の一人にすぎない。それだけのことだ。だがよ、解せねぇことがひとつある」
 一歩、キサラとの距離をつめる。女はぼろ布をたぐりよせて、襟もとできゅっとにぎりしめた。
「どうしててめぇはいつもいつも笑って死ぬ? セトにカーを奪われた時も、アクナディンに腹を刺された時も、地割れにのまれた時も、狂った兵士に首をはねられた時も、がれきに埋まった時も、逃げる民衆の私刑に処された時も、闇に喰われた時も、てめぇは最期にうすら笑いを浮かべてやがる。何故、死を恐れない」
 不可解だった。
 死は人間にとって克服しえない恐怖のはずだ。根源から自分が損なわれる感覚は、闇そのものになった己とて、あまり愉快なものではない。死の間際に見せる狂乱こそが、人間の最も真実の姿だろう。それなのに、この女は一度たりともとり乱したりしなかった。バクラにはそれが不思議でならない。
 とはいえ、その理屈はゲームを何度も繰り返したバクラだからわかることだ。この世界がゲームであり、そもそも自分がかりそめの命であることすら知らないキサラにとって、バクラの言うことが分かるはずもない。
「あの、どういうことなんでしょうか」
 白い眉の間に薄くしわを刻んで、キサラはバクラを見あげる。
 面白みのない反応に、バクラは舌打ちして己が精霊獣を顕現させた。
「きゃっ……!」
「つまり、てめぇの死に顔が気にくわねぇってことだ。……これからオレはお前を殺す。泣いて命乞いでもすれば考えなくもないが、オレ様の手にかかってなお、澄ました顔をするんなら、許しゃしねぇ。やりな、ディアバウンド!」
 キサラの頬をかすめて、ディアバウンドの攻撃が背後の家を破壊する。無論、これは脅しにすぎない。大音響を奏でながら壁が崩れ、砂ぼこりがもうもうと立ちあがったがしかし、キサラの顔が恐怖に曇ることはなかった。
 砂ぼこりが晴れた後、残っているのはやはりきょとんとした顔でバクラを見あげるキサラだった。
「どうして、私を殺すんですか?」
「てめぇがみっともなく泣き叫んで、死と闇に恐れおののく姿が見たいんだよ」
 それを見ればきっとバクラは安心できる。この女も所詮凡愚の一人だったと納得して、心おきなく世界を滅ぼすことができる。
 キサラは少し考えるようにうつむいて、それから顔をあげた。気負いない視線がバクラの瞳を直接覗きこむ。
「人は、いつか死んでしまいます。その時が私にも訪れただけなのに。ただそれだけのことを、どうして怖がらなくてはいけないんですか?」
「もっと生きたいと思わねぇのか」
「これ以上を望むには、ぶんがすぎます」
 ぞっとするほど透き通った瞳で、キサラは言った。そしてあの、何度も見せたうすら笑いを浮かべる。
「どうぞ」
 青い瞳が殺戮者をひたと見すえる。
 キサラの視線を真正面で受け止めて、はじめてバクラは気がついた。この女は、生きながら死に顔を浮かべられるのだ。突然現れた運命を諾として受け入れるのは、自分で運命を切り開く気がないのだろう。この世に生存してしまったからそれを続けているだけで、生きているからなにかをしたいという意思はない。絶望はないが、きっと希望もない。死にながら生きているような、生きながら死んでいるような。どちらにせよ、まともな生者ではない。
 三千年前リングに宿りつづけたバクラが厳密には生者ではないように、魂がまるごと精霊であるキサラも、普通の意味で生きてはいないのだろう。


 オレ様が闇そのものだとするのなら、こいつは――


「さがりな、ディアバウンド」
 精霊獣の姿を消して、バクラは鼻を鳴らした。
「興が失せた。このまま殺しておいてもいいが、どうせお前は死ぬ。どうとでも生きるがいい」
 そもそもがどうせ気まぐれだ。セトに出会う前にキサラが死んでいた場合のデータもとうの昔にそろえてある。殺しても殺さずとも意味はない。
 キサラの死顔が消える。再び不思議そうな目に戻って、子どものようにバクラを見あげていた。
「ありえやしねぇんだが……てめぇが生き延びる世界ってのも、面白いのかもな」
 滅びの運命を動かせないのに、滅びを超越した女はどんなシナリオを紡ぐのか。バクラが滅びを求めるである以上、決して見ることのできないTRPGを夢想しながら、キサラの前から、蜃気楼のように消え失せる。
「……!?」
 現実世界に戻れば、ボードの上には戸惑ってあたりを見渡すキサラの姿が見下ろせた。バクラの姿を見つけられなければ、そのうち水でも求めて歩きだすだろう。
 最も近い村には神官団がカー狩りにやってきていた。そこでキサラはセトに出会うだろう。そして何千回と繰り返した悲劇を紡ぐのだろう。
「おもしろくねぇ女……」
 現実世界でのバクラの呟きがキサラに届くことはなかった。





2012.12.02up






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